元フジテレビ・ゼネラルプロデューサーで、「笑っていいとも!」「オレたちひょうきん族」など人気バラエティ番組を手がけた横澤彪(よこざわ・たけし)さんが2011年1月8日、亡くなっていたことがわかった。73歳だった。コント仕立てのドラマや他番組のパロディなど今あるバラエティ番組にも通じる「王道」を築いたのが横澤さんだった。
フジ「笑っていいとも!」の初代プロデューサー
お笑いとテレビ番組のことをいつも気にかけていた横澤彪さん(2008年撮影)
1962年にフジテレビに入社した横澤さんが注目されはじめたのは1980年、その後も定期的に続いた特番「THE MANZAI」を手がけたことから。番組からはツービート(ビートたけし、ビートきよし)や島田紳助・松本竜介らを輩出し、漫才ブームを仕掛けた。1981年には「オレたちひょうきん族」がスタート。コント仕立てのドラマや他番組のパロディなどハプニングありリアクションありの番組で成功し、約8年半続いた番組の平均視聴率は17.8%だったという。
そして翌1982年にはじまったのが、お昼のバラエティ番組「森田一義アワー 笑っていいとも!」だ。今なお続く超長寿番組の礎を築いたのも、初代プロデューサーの横澤さんによる部分が大きい。その後、1995年にフジテレビ退社してからは吉本興業役員として東京支社長、専務取締役も歴任した。
ところが2006年、医師から悪性リンパ腫を告げられ、一時は入院し抗がん剤の治療も経験。ここ1年ほどは定期的な治療に通っていたが、無理はできないとはいえ日常生活に大きな支障はなく、年明け後も人と合って比較的元気そうだったという。だが、亡くなる前日に肺炎をこじらせ、そのまま帰らぬ人となってしまった。