がん治療ワクチンの臨床試験に関する朝日新聞記事について、取材対象となった東京大学医科学研究所の所長が「事実が巧妙に歪曲されている」「訂正を求める」などと強く反発している。何が起きたのか。
「基本的な事実誤認がある」「巧妙な仕掛けでがんワクチンおよび関連する臨床試験つぶしを意図しているとしか思えません」――こんな激しい表現で朝日新聞記事を批判しているのは、東大医科研の清木元治所長だ。
1面トップ、社説でも取り上げる
問題となっている朝日新聞の記事は、2010年10月15日付朝刊(東京最終版)の1面トップ「臨床試験中のがん治療ワクチン 『患者が出血』伝えず 東大医科研、提供先に」及びその関連記事だ。1面には解説記事もあり、社会面トップでも「患者出血『なぜ知らせぬ』 ワクチン臨床試験 協力の病院、困惑」と図や時系列表も使って大きく展開している。翌16日は「研究者の良心が問われる」と社説でも取り上げている。
これに対し、清木所長は10月18日配信のメールマガジン「MRIC by 医療ガバナンス学会」で反論を展開した。見出しは「朝日新聞『臨床試験中のがん治療ワクチン』記事に見られる事実の歪曲について」。清木所長はJ-CASTニュースの取材にも答えた。
朝日記事も清木所長の反論文も、ともに論点は多岐にわたっているが、やや乱暴ながらも対立点の一部を紹介すると、次のようなことになりそうだ。
外形的事実は、(1)がんペプチドワクチンの臨床試験の被験者に起きた消化管出血が医科研付属病院内で「重篤な有害事象」と報告された。(2)医科研は、同種ペプチド(たんぱく質の断片)を提供している他大学病院へ出血について報告しなかった、などだ。
朝日新聞は(1)について、「医科研病院はペプチドと出血との因果関係を否定できないとして(略)被験者を選ぶ基準を変更」などと指摘。これに対し、清木所長は「消化管出血がワクチン投与による重大な副作用であるとの印象を与えることを意図して」書かれた記事だとして反発している。清木所長によると、「今回のような出血は末期のすい臓がんの場合には、ワクチン投与とは関係なく、その経過の中で自然に起こりうる」のだという。
つまり、出血による入院期間延長が一般的な「重篤な有害事象」であることは間違いないが、出血は「今回の臨床試験とは関係なく」、「臨床医なら誰でも認知している」という認識のようだ。ただ「完全に関係性はゼロかと言われれば、今回の事例に限らずゼロと言い切ることは困難だ、という程度」で、「基本的には関係はないと考えている」と話している。
厚労省「引き続き確認しているところ」
(2)についても、「報告する責務(行政指針上及び良心の問題として)」や報告する必要性の有無をめぐり両者は対立している。ほかにも「ペプチド開発者は誰か」や東大発ベンチャー企業を巡る「金銭的な私利私欲」の構図(清木所長)、出血に触れた医科研の論文発表の意味合いについても見解は大きく異なっている。
朝日新聞は解説記事や社説で「東大医科研の事例は法による規制なしで臨床試験の適正さを確保しようとしても限界があることを改めて示した」などと、薬事法などで規定がある「治験」と、罰則のない行政指針で対応する研究者主導の臨床試験の「二重基準」の解消を提唱している。
清木所長は、J-CASTニュースの取材に対し、「今回の問題ある報道で、新しい医療開発をやろうとしている医師や研究者を傷つけ、多くのがん患者に動揺や不安を与えました」と朝日記事を批判し、「組織としては難しいかもしれませんが、個人としてでも朝日新聞には訂正などを直接求める予定です」。
一方、朝日新聞広報部は「当該記事は、確かな取材に基づくものです」と回答した。
また、厚生労働省研究開発振興課にきいてみると、朝日新聞記事にあるように、医科研関係教授に今回の件で話をきいたことは認めた上で、「朝日新聞の取材を受け、事実を確認する必要がある点があるので引き続き確認をしているところ」なのだという。医科研の対応に問題があるのかないのか、まだ判断はつきかねているようだ。