保護責任者遺棄などの罪で実刑判決を受けた元俳優の押尾学被告(32)が、判決後にファッション誌のインタビューに応じている。インタビューでは、「救命救急に全身全霊で務めた」などと従来の主張を繰り返し、同被告に合成麻薬「MDMA」を譲り渡したと認定された泉田勇介受刑者(32)に対しては、「彼の法廷での発言は全くのデタラメ」などと非難。だが、判決が法廷での押尾被告の主張を退けた理由については、ほとんど再反論をしないまま一方的な主張を展開するにとどまっている。
押尾被告は2010年9月17日、芸能人としては初の裁判員裁判で懲役2年6月(求刑6年)の実刑判決を受け、弁護側は即日控訴。東京地検側は控訴を断念していた。10年10月4日に保釈されたが、同被告の判決後の「生の声」は発表されていなかった。だが、9月3日の段階で接見禁止は解けており、ファッション誌「エッジ・スタイル」(EDGE STYLE、双葉社)が、3日間にわたって接見、インタビューを行っていた。なお、押尾被告は、判決前に発売された同誌10年9月号には、
「地獄の入口から戻ってやる」
「犯罪者の汚名を着せられて、押尾学というブランドを剥奪され死に物狂いで無罪を取る」
などとつづられた「獄中ノート」を発表。強気な姿勢を示していた。
「供述が全く信用されておらず、納得できません」
10月7日に発売された11月号では、「押尾学の『徹底抗戦』」と題したインタビューを3ページにわたって特集。
押尾被告は、公判を迎えるまでの心境を、「私はクリスチャンですから、イエス様とマリア様にお赦しを求め、毎日、(犠牲者の田中香織さんの)冥福を祈ってきました」と、法廷で実際に口にしたのと同様の言葉で説明。だが、法廷で争われた事柄については、
「この判決では、正直、私の法廷での供述が全く信用されておらず、納得できません」
と、強く反発している。主に押尾被告が反発しているのが、(1)事件当日に使用したMDMAは、田中さんではなく押尾被告が持ってきたものだと認定されたこと(2)「遺棄罪」が認定されたこと、の2点だ。
判決では、知人の泉田勇介受刑者(32)から譲り受けたMDMAを、押尾被告が田中さんに渡したと認定されている。だが、押尾被告は、
「何を言っても信じてもらえないかも知れませんが、『新作で盛り上がろう』。こう言って、彼女(編注: 田中さん)の新作MDMAを各自が飲んだというのが、本当の真実です」
と反論。泉田受刑者が法廷で「自分がMDMAを押尾被告に譲り渡した」などと証言したことについても、
「彼は前科があり、自分の刑を少しでも軽くしてもらうため、大きなウソをついているんです」
などと批判した。
判決では、押尾被告が田中さんに送ったメールの文面「すぐいる?」が「MDMAが必要かどうか」と解釈され、泉田受刑者の証言については「自己に不利益な虚偽の供述をすることは考えにくい」として信用性が認められている。これに対して、押尾被告の主張については
「犯行後、自己の犯跡を隠ぺいすべく、泉田に薬物の処分を依頼し、元マネジャーらと口裏合わせに及び、その後捜査機関からの事情聴取の際も、被害者の死亡時刻に関し、弁護人から別罪の成立を示唆されるや、虚偽の供述をした」
との理由で、退けられている。
判決文で示されたこれらの理由については、押尾被告は特に反論していない。
救急車呼ばなかったことには「ダンマリ」
また、田中さんの容態が急変した時の行動については、
「正直、アゲハさん(編注: 田中さんの源氏名)の容態が急変したとき、私は全力を尽くして救命措置を施しています」
「申し訳ないことに、心臓マッサージ中にアゲハさんの肋骨が折れてしまったほどです」
などと主張。
だが、田中さんの容態が急変したとの電話を受けた知人が、繰り返し110番通報するように求めたにもかかわらず、押尾被告が友人や所属事務所のマネジャーを電話で呼びつけるにとどまったことについては、事実上「ダンマリ」だ。
さらに、裁判員や検察官に対しても、
「『押尾は悪だ』と最初から決めつけ、私に対する先入観といったものが本当になかったのか、気になるところです」
「検事からは、『世間がうるさいから、俺たちは絶対起訴しなければいけないんだ』と言われました」
などと矛先を向けている。
今回のインタビューでは、「東京拘置所からの保釈が認められれば、アゲハさんのご遺族のもとへ、まず何よりも先に直接説明に行きたいと考えています」とも述べている押尾被告。早ければ12月にも開かれる控訴審で、今回の主張が、どのよう遺族の心証に影響するかが注目されそうだ。