チェチェン難民の取材でも拘束される
常岡さんが「行方不明」や「拘束」状態になったのはこれが初めてではない。
常岡さんが2001年ごろに開設したHPによると、早大学在学中からアフガンやイラク、アルジェリアなどの紛争地域を旅行。卒業後はNBC長崎放送で報道部記者になるも4年半で退職。1998年からフリー・ジャーナリストとしてイスラム圏を中心に世界の紛争地域を回っている。「目立つのが好き。心配されるのが好き」なところがあるのだという。
01年にはチェチェン独立派を取材中に国内外のメディアで「日本人ジャーナリスト不明」「テロリストが拘束」などと報じられた。その後無事に帰国しているが、グルジアの集落で武装グループと一緒に生活していたようで、常岡さんが所属するジャーナリスト集団「東長崎機関」HPには常岡さんが武装グループと一緒に笑顔で写っている画像が掲載されている。右手人差し指を1本立てて、イスラム教の「神は一なり」のサインを武装グループメンバーと一緒にしている。
常岡さんは00年に自身もイスラム教に改宗している。シャミルというイスラム名もあり、ロシアや旧ソ連諸国のメディアでは「ジャーナリストになりすましたイスラム過激派国際テロリスト」と書き立てられたこともあるという。
そうしたこともあってか04年、ロシア南部にチェチェン難民の取材目的で入った際、取材の届け出をしていなかったことなどを理由に、ロシア治安当局に拘束されている。拘束は16日間にも及んだという。後日解放され帰国した際には「解放に向けて努力してくださった皆さま、ありがとうございました」と書いている。
今回の解放では身代金は支払われなかったという。Twitterには「何においても無事に帰国されてよかったです」「命を賭けて取材する方々を尊敬します」といったものが寄せられている。