パナソニックが、上場している子会社の三洋電機とパナソニック電工(旧松下電工)を完全子会社化する。2010年7月29日に発表した。大阪府内の京阪電鉄「守口市」駅界隈に本社を置く3社は、いずれも松下幸之助氏が源流と言える、いわば「同根企業」。
しかしそれが故に、近親憎悪のような長年のライバル関係もあり、グループの一体化が進みづらかった。そんなことに拘っていられないという判断を後押ししたのは、韓国のサムスン電子など海外新興勢力の伸長という「外圧」だ。
「統合」はせず、軟着陸を目指していた
パナソニックによる三洋の子会社化は、発表から1年かけて09年末にした実現した。実は、その際、在阪メディアの記事には「経営統合」の4文字は使われなかった。子会社化しても三洋の生え抜き社長は留任、三洋のブランドと上場は維持ということなどが強調された。
「三洋の独立性を保つ」ことをアピールするため、体感として「統合」という単語に違和感を持ったからだ。パナソニックは「三洋の従業員の士気を維持するためにも細心の注意を払う」(幹部)ことで軟着陸を目指した。
2004年に子会社化した電工についても、パナソニックは神経を使った。「ナイス」という電工独自のブランドは廃止したうえ、重複事業を整理し役割分担を明確化したが、常勤取締役を1人も送り込まないことなど、その後も電工は独立した会社のようだった。電工幹部からは「(パナソニックが)進駐軍になれば提携はうまくいかない」との声も聞かれた。
三洋はもっと独立心が強い。佐野精一郎社長は09年末の記者懇談会で、重複する白物家電などの取り扱いについて「整理を想定しているものはない。逆に強化しなければならない」と発言。パナソニックの大坪文雄社長が「やめるべきものはやめる」とするのに逆らうかのような姿勢だった。
海外売上比率5割以下の現状に焦る
ただ、組織の融和を優先する日本的手法は、世界市場で生き残るためのスピード感に欠ける。大坪社長は2010年春、インドを訪問した際、サムスン、LGという韓国勢が家電市場の過半を押さえ、ソニーが何とか食らいつこうとする一方、パナソニックがシェア拡大に苦しむ実態を目の当たりにし、焦りの色を濃くしたようだ。韓国勢は今や米国など先進国でも圧倒的なブランド力を誇り、アフリカ、南米などでも強い。海外売上比率が5割に届かないパナソニックが世界で生き残るために与えられた時間は少ない。
それなのに、例えばエコカー向けなどの蓄電池として成長が見込めるリチウムイオン電池は、パナソニック、三洋のライバル意識が抜けずに今も競合し、共同開発計画も公表できていない。09年度の世界シェアは両社合計では35%とトップではあるものの、抜本策を打たなければ子会社化した意味がなくなってしまう状況だった。
三洋、電工側もリーマンショック後のサムスンの急回復ぶりを見るにつけ、「無血開城やむなし」と判断したようだ。
パナソニック本社近くの「松下幸之助歴史館」では、展示ゾーン入ってすぐの場所にパナソニックの創業メンバーの写真が大きく掲げられ、真ん中に幸之助氏の義弟で三洋創業者、井植歳男氏の姿がある。旧松下電器産業の一部部門をルーツとするパナソニック電工を含め、日本の高度成長期には「近親企業」が競い合うことも有効だったが、人口減少期を迎えた今、原点に帰って出直す、ということだろうか。