詩作を始めたのは92歳から
柴田トヨさんは明治44年6月26日、裕福な米穀商の1人娘として生まれた。ところが、10歳代の頃に家が傾き、自宅が人手に渡り、5軒長屋の小さな家に親子3人で住むようになった。20歳代の頃にお見合い結婚をしたが、夫がお金を一切、家に入れず、半年あまりで離婚。トヨさんは料理屋などへ奉公に出て、33歳の時に調理師の男性と結婚し、翌年、長男(健一さん)が生まれた。1992年に夫と死別してから、20年あまり1人暮らししている。
詩を書き始めたのは、トヨさんが92歳の時だ。腰を痛めて趣味の日本舞踊が踊れなくなり、気落ちしていたトヨさんを慰めるために、自身も詩を書いている健一さんが勧めた。
産経新聞の「朝の詩」で入選し、その時の感動が忘れられず、今も作り続けているという。詩の題材にしているのは、日々の生活で感じたこと。ヘルパーとのやりとりや、健一さんのこと、夫や母親との思い出、鳴いている虫、といった具合だ。トヨさんは思い浮かんだ言葉を忘れないように、自分の手で鉛筆を持ち、ノートに書き残していく。週に1回、健一さんに見せて、朗読しながら、書き直して完成させるという。
トヨさんの夢は「詩集が翻訳され、世界中の人に読んでもらうこと」。飛鳥新社の五十嵐さんによると、韓国の出版社からオファーがあり、話が進んでいる。トヨさんは驚いているが、「『くじけないで』と私が呼びかけたのだから、くじけてはいられない」と言って、今も詩作に励んでいる。100歳を迎える2011年6月26日に「第2弾の詩集を出したい」と話しているという。