選挙に当選するためには「地盤」(後援会などの支持組織)「看板」(知名度)「カバン」(資金力)が不可欠だとされる。この「3バン」を最初から持っているとされるのが世襲議員だ。
世襲議員をめぐっては、「政治家への『新規参入』の障害になっている」といった批判も根強い。世襲の何が問題なのか。自身も「非・世襲」で、2009年の衆院選では自民党の選挙対策副委員長として、党内から反発を受けながらもマニフェストに「世襲制限」を盛り込んだ衆院議員の菅義偉さんに聞いた。
民主党が制限すべきは、いわゆる労組出身の議員
――そもそも、世襲は何故いけないのでしょうか。
菅 私たち自民党を考えた時に、世襲の議員が多くなりすぎています。09年衆院選の候補で言うと、3親等以内に国会議員経験者がいる人は、4割近くに達しています。国民政党という性格からすると、幅広く、多彩な人材が入ってくるというのが基本だと思います。しかし、世襲の人が立候補することで、それ以外に他の人が立候補を諦めてしまう。ですから、選挙なりで、全体の1割程度になるように、制限をすることが必要だと思います。
それと同時に、世襲制限は自民党が一番やりたくないこと。党の改革の姿勢を示す点でも、必要だと思いました。
――米国や英国では、世襲の割合は3~5%だと言いますし、韓国でも日本ほどは多くありません。なぜ日本では、特に自民党では、こんなに世襲議員の数が増えてしまったのでしょう。
菅 背景には、後援会の存在があります。(ひとつの選挙区から複数の当選者が出る)中選挙区制の時は、後援会が「地域の代表・与党の代表」を出そうとする面がありました。世襲議員と後援者が一体となっているところがあって、中選挙区制であれば、後援会さえキッチリしていれば当選しますし、後援者としても、政治に影響力を行使したかった。その結果、世襲が与党の自民党に多くなるのは当たり前と言えば当たり前です。(選挙区から1人しか当選できないので、党も選挙区に1人しか公認しない)小選挙区に移行した時点で考え方を切り換えるべきだったのですが、そのままズルズル来てしまっています。
中選挙区世代の人と小選挙区世代の人とでは、考え方が違います。中選挙区の時は、志があれば無所属でも当選できましたが、今では事実上無理です。無所属で当選したのは、江田憲司衆院議員(現・みんなの党幹事長)ぐらいでしょう。選挙の仕方も資金の配分も、完全に政党選挙になっていて、党から公認されるのは世襲の人が多い。小選挙区制は若い人が挑戦できる仕組みでなくなっています。私たちは知恵を出すべきだったんですが、出し切れていなかった。
――「自民党に比べて、民主党は世襲が少ない分、新規参入しやすい」との指摘もあります。「世襲制限」についても、09年衆院選のマニフェストに盛り込むなど、積極的なように見えます。
菅 今述べたような理由で、民主党に世襲候補者が少ないのは当たり前ですし、世襲制限を盛り込むにあたってのハードルも低い。民主党が制限すべきは、いわゆる労組出身の議員です。参院では4割もいる。そのような議員は、どうしても、国民全体からみた国益ではなく、労組から見た利益を考えてしまう。そういう固定化した仕組みを打破するために、お互い努力すべきです。
――自民党も、09年のマニフェストでは、「『世襲候補』の制限等」という項目が盛り込まれています。10年のマニフェストにも同様の記述があります。ここにこぎ着けるまでには、党内からも反発の声は大きかったのではないですか。
菅 マニフェストを発表する当日の総務会が、荒れに荒れました。それぐらい、反発が根強いということですね。党内でも大問題になって、党内ではずいぶん嫌われました。「ウチの息子に継がせたい」という人は、いっぱいいます。麻生太郎総理(当時)も途中でブレていましたが、「私はこれでいきますよ」と押し切りました。