11人もの無差別殺傷事件を起こしたマツダの元期間社員は、同社の関連企業などを転々としていたと報じられている。同社への恨みを供述しているというが、この間に何があったのか。
「秋葉原と同じことをしてやろうと思った」。広島県警に殺人未遂の疑いで逮捕された引寺利明容疑者(42)は、2010年6月22日朝に起こした悲惨な事件について、こう供述したという。
「退職を求めていたとは聞いていない」
秋葉原通り魔事件と共通しているのは、引寺容疑者も自動車関連工場に非正規社員として勤めていたことだ。そして両者とも、孤独で、何かに深い恨みを抱いていた。
マツダ側の説明によると、引寺容疑者は3月25日、広島県の本社宇品工場で直接雇用の期間社員として半年契約で採用された。研修を経て、4月1日からバンパー製造部門で働いていたが、同14日に「一身上の都合」で突然退職した。この間、有給休暇を2日取っており、実働はわずか8日間だった。
引寺容疑者は、「工場を解雇された」と供述しているというが、同社は、「トラブルはなかった」としており、主張が食い違っている。
期間社員として働くまで、引寺容疑者は、同社の関連企業などを転々としていたらしい。新聞各紙によると、広島市内の工業高校を卒業後は、マツダ関連の部品メーカーに入社。約6年半勤めて、1992年に依願退職した。その後は、同社関連の部品メーカーを含めて、派遣社員として複数の会社を転々としていた。08年5月には自己破産したことも分かっている。
マツダ工場で期間社員として働いた後は、ゴム製品の加工メーカーで派遣社員として働くなどしていたという。
こうした経歴の中で、マツダへの恨みが募ったことはないのか。
同社の広報部では、「他社でのことは、個人情報にも関わりますので、お答えすることではないと考えています。また、こちらから退職を求めていたということも、一切聞いていません」と言う。2日も有休を取ったことについても、引寺容疑者の希望だったとしている。
知人に人間関係の悩み打ち明ける
産経新聞などによると、マツダは、期間社員の雇用方法について、広島労働局から労働者派遣法違反の疑いがあるとして2009年6月に指導を受けていた。正社員化の義務を逃れるため、3年しないうちに派遣社員を一時的に期間社員として雇い、再び派遣として受け入れることを繰り返していたというのだ。また、元派遣社員らが、同社に対して正社員の地位確認訴訟を起こしているという。
2ちゃんねるでは、引寺利明容疑者がこうした雇用方法を恨んだのではないかとの憶測が出ている。しかし、マツダ広報部では、引寺容疑者は、同社で派遣社員として働いたことはなかったとしている。労働局の指導を受けて、09年7月に派遣社員を止め、すべて最長3年の期間社員として雇用しており、引寺容疑者は、このケースに当てはまるという。
新聞各紙によると、引寺容疑者は、事件を起こす直前に、複数の知人に悩みを打ち明けていた。それは、職場での個人的な人間関係の悩みやトラブルだったという。また、「スピードについていけない」「体力的にきつい」とも漏らしていた。
読売新聞によると、引寺容疑者は、「自分が仕事に来とる間に誰かが自宅に入っとる。このままでは夜も眠れない」と会社側に話していたという。
無差別殺傷に走ったのは、何か別の理由があることはないのか。秋葉原事件と、本当に同列に考えられるのか、今のところ真相は分かっていない。
マツダ広報部では、「捜査に関わる内容もありますので、お答えすることは差し控えさせて下さい」とだけ言っている。