『キンドルの衝撃』(毎日新聞社)の著者で在米ジャーナリストの石川幸憲氏によれば、米メディア界は大変革の入り口にあるという。これまで紙重視の文化を維持してきた日本だが、この影響から逃れることはできない。
――米国の新聞は、これからどうなるのでしょうか
石川 2~3年では、あまり変わらないでしょう。ただ、企業サイドから見た新聞というメディアが、広告媒体としてどこまで魅力を持ち続けるのかということは、いま見ておかなければならないと思います。
新聞は「部数」から「質」へ大変革
石川 米国でも新聞の読者は減っており、購読部数も減少していますが、これまで広告収入が8割を占めていましたから、影響は日本よりも小さくて済んでいます。ただ、購読者数の減少をカバーするために購読料を上げており、日本の新聞と比べて安いといわれたニューヨーク・タイムス(NYT)でも、いまは月45ドルくらいまで上げました。
現在は、広告料と購読料とのバランスを8対2から、6対4まではいかないにしても、7対3くらいには変えていきたいという戦略だと思います。とはいっても、どこまでも料金を上げ続けるわけにもいかないので、昨年あたりから問題になっているのが、購読料以外に読者から得る収入の確保、いわゆる「課金論争」です。
――でも、購読者数が減れば、広告の単価も上げられなくなります
石川 そうとも限りません。現在、新聞は「マス」の世界、だれでも読む新聞、不特定多数を対象とした媒体から、「読者の質」の世界に変わっているのではないでしょうか。
最もハイブロウ(知的な富裕層向け)な読者を持つといわれるNYTを見ると、高級ブランド品の広告がよく掲載されています。ということは若干購読者数を減らしても、広告単価を下げずに済ますという方向を狙っているのではないか。年収1千万円以上のディシジョンメーカー(意思決定権者)が読むNYTという切り口で、新聞の特徴を仕分けしている時代だということです。
読んでいる人のクオリティを維持できれば、NYTが現在の100万部から50万部に半減しても広告媒体の魅力を維持できる。日本の新聞も、1千万部の読売新聞がいいのか、800万部の朝日新聞がいいのか。量から質の競争に変わる可能性はありますね。質というのはコンテンツだけでなく、読者の質でもあります。
――日本でも米国でも、電子書籍に関する実験をしてきましたが、キンドルは成功しているのでしょうか
石川 証券会社のアナリストらによれば、キンドルは07年11月から2年間で200万台を販売し、10年には350万台を達成すると推計されています。米国の人口3億人の1%、100人に1人、地下鉄の車両に1人というところで、まだ目立つといえない。10人に1人というところまでいかないと変化は目に見えてこない。
キンドルは特殊な端末で、アマゾンという本屋さんが単行本を読む人たち向けに、読書経験をより豊かなものにすることを目指して作ったものです。電器メーカーがハード面から作ったものではないので、新聞や雑誌も読むことができるが、それが主眼ではありません。
ただ、新聞から見ると、キンドルの位置づけは非常に面白い。キンドルで新聞記事を配信すれば、課金システムがあるので無料では読めません。NYTの電子版は15ドルですから、紙よりもはるかに安い。ウェブで見ればタダで読めるわけですけれども、新聞社としては課金システムを使うことに反対する理由はありません。
「キンドル」はメディア変革の引き金になるか
――現実に米国の新聞社は動いているのですか
石川 いまのところ普及率が低いので、あまり大きな動きになっていません。新聞社とアマゾンとの間でも駆け引きがあります。2009年5月に上院の小委員会で「ジャーナリズムの将来」という公聴会が開かれたのですが、そこに「ダラス・モーニングスター」というテキサスの有力日刊紙の発行人が出席しました。そこで、アマゾンが購読料(正確には購読料収入から経費を除いた残り)の7割を要求し、新聞社には3割しか分配されていないことがわかりました。
ただし、無線システムの通信にかかる費用は読者に負担させず、アマゾンが負担しているので、それなりの経費が掛かっています。一方で、こんな分配方式ではやっていけないというのがダラス側の言い分です。この姿勢をアマゾンがどこまで緩めるかというのが、いまの課題です。また、キンドルには原則として広告がつかないことになっています。モノクロ表示しかできないこともあり、広告収入を得ている新聞の利用はかなり限られてしまうのではないでしょうか。
――書籍用のキンドルに対し、アイパッドはカラー表示で動画も扱えます
石川 アップルは広告も掲載するなど、キンドルにはないメリットを打ち出しています。ただ、新聞のコンテンツをそのままレイアウトして、そのままアイパッドで読みきれるのかどうか。米大手ハーストの子会社スキッフや、ベンチャー企業プラスティック・ロジックなどが雑誌サイズの端末を試作しており、、ようやく手に取れる端末がいくつか出てきました。
大きな歴史の流れの中で見ていくと、いま起こっているのは、これから起きる大きな変革の出発点だという段階ではないでしょうか。5年後の端末は、今のものと相当違ってくるでしょう。2010年はスタートラインといえます。
この影響は、新聞や雑誌だけでなくテレビにも及ぶでしょう。米国の場合、つい2、3年前まではテレビの4大ネットワークの将来は、ケーブルテレビとの競争でかなり厳しいと思われていました。しかしインターネットを使って人気番組を流したところ、アクセスする人がものすごい勢いで増えており、盛り返しています。ビデオライブラリーのポータルのようなサービスができており、誰もが自分たちの端末から好きな番組を見ることができるようになるのは時間の問題でしょうね。
――日本はどのような影響を受けるのでしょう
石川 日本と米国を比較してみると、ウェブの世界の意味合いがだいぶ違います。日本のウェブには、情報が完全に出ていません。紙と一線を画しており、「ウェブは紙以下」という認識です。一方、米国のウェブに対する姿勢は「100%前進あるのみ」。膨大な投資をして紙以上のものを出そうとしており、紙では見られないような企画がどんどん展開されています。
日本の場合はこれまで、紙重視の文化を維持しながら、ウェブをどう展開していこうかということのようです。電子版をリリースした日本経済新聞の取り組みは画期的ですが、他社がどう追随するでしょうか。今年中に日本語版キンドルが出るといわれています。米国に比べ1周、2周遅れだった日本が、ようやくキャッチアップしはじめる状況が生まれるかもしれません。
石川幸憲(いしかわ・ゆきのり)プロフィール
在米ジャーナリスト。1950年生まれ。上智大学卒業後、渡米。南イノリイ大学博士課程修了(哲学)。ペンシルベニア大学博士課程(政治学)前期修了。AP通信記者、TIME誌特派員、日経国際ニュースセンター・ニューヨーク支所長、日本経団連のシンクタンク21世紀政策研究所研究主幹を歴任。