「太陽の塔の顔」ミステリー 大阪万博40年未だに探索続く

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   1970年に大阪万博が閉幕して以来、行方不明になっている「太陽の塔」の「第4の顔」の捜索が未だに続いている。兵庫県で見たというネットの書き込みを頼りに県の担当部署が調査に当たり、万博記念機構もサイトで情報を募集している。2010年3月で開催40周年ということもあって、発見が期待されているが、捜索はかなり難航している。

   「太陽の塔」は、「芸術は爆発だ」で知られる故岡本太郎氏が制作した高さ65メートルの巨大モニュメント。現在も万博記念公園に置かれている。万博のシンボルとして作られ、現在も大阪城や通天閣と並ぶ、大阪を代表する建築物として知られる。

ネットには「万博後、兵庫県が引き取った」

   太陽の塔には4つの「顔」がある。1つは頂上にある「黄金の顔」、2つめが塔の腹部分にある「太陽の顔」、3つめが塔の裏側にある「黒い太陽の顔」だ。そして、4つめが地下部分にあった直径約3メートル、黄金色の「地底の太陽の顔」で、これが閉幕以来行方不明になっている。

   ネット上でも以前から時折話題になっている。

   約1600人が加盟する「太陽の塔内部を知る者達」というコミュニティーでは、06年ごろから継続的に話題になっており、「死ぬまでに絶対この目で1回は見たいです!」「万博公園の職員さんに聞いたけど、わからないとのことでした」といったものが寄せられている。「太陽の塔」ファンにとってはかなり気になるトピックのようだ。

   また、「万博終了後、兵庫県が美術館展示の為に県内に搬入」といった情報もネット上で飛び交っている。兵庫県の美術館の庭でビニールシートかけられている、という再現イラストもあった。

   こうした情報を受けて、兵庫県の観光交流課が09年末から捜索に乗り出した。まず、ネットで目撃情報が出ていた神戸市の県立教育研修所や、移設に伴い70年代初頭に潰された県立教育研修所王子分館の物品を引き継いだ県の図書館や博物館などを捜索したが、見つけることはできなかった。

   また、万博当時、県に置かれていた「万国博対策室」にいた70代の職員に話を聞いたという。それによると、閉幕後、会場に残っていた展示物を廃棄することになり、パビリオンスタッフなどが持ち帰っていった。この職員はトーテムポールを1本持ち帰ったが、「第4の顔」は持って帰らなかったという。

   同課はあらゆる関係者や関係施設を当たったが、有力情報は得られず、1月には捜索が座礁してしまった。

「山に廃棄されている可能性もあります」

   その後、こうした同課の捜索活動が新聞で報じられ、3月9日、県内のホテルで見かけたという情報が課に寄せられた。その日のうちにホテルに問い合わせたところ、確かに岡本太郎のモニュメントはあったが、よく似た別の作品だった。観光交流課の担当者は

「『太陽の塔』は高度経済成長のシンボルとも言われますよね。是非一度見てみたいです。教育研修所が山の中にあるので、山に廃棄されている可能性もあります。今後は歩いて捜します。また、神戸市に問い合わせて、70年代に教育研修所を潰した業者も調べてみます」

と話している。ネットには、「静岡で見た」という情報もあったというが、引き続き兵庫県内で捜索を続ける方針だ。

   3月15日には万博開催40周年を迎える。その2日前の13日には、大阪吹田市の万博公園に記念館「EXPO'パビリオン」がオープンする。日本万国博覧会記念機構などが所有する約3000点の資料が展示される予定だ。「第4の顔」についても見つかり次第展示する意向で、1月から情報提供を呼びかけている。

   同機構の広報担当者は、

「もう2か月経ちますが、なんせ40年前のことなので、まだ有力な情報は寄せられていまん。見つかれば展示の目玉になるのですが…」

と発見に期待している。

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