岡田克也外相の就任直後の2009年9月に始まった「密約」調査の結果が、有識者委員会の検証を経て公表された。核持ち込み密約については、明確な「密約文書」があったとはいえないが、米国の核搭載艦船が事前協議なく日本に寄港する可能性があることを日本政府が承知していたという「暗黙の合意」があったと認定。岡田外相は「冷戦後もこの問題が国民に対して明らかにされてこなかったのは極めて遺憾だ」と表明した。
調査対象となったのは、1960年の日米安保条約改定時の核持ち込みに関する密約や沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する密約など4つの密約。外務省の調査チームが本省と在米大使館に存在する4423冊のファイルを調べて調査報告書を作成し、北岡伸一東大教授を座長とする有識者委員会が検証した。
「核持ち込みがなかったと言い切ることはできない」
日米安保改定時の核持ち込み密約については、外務省の調査で、当時の藤山外相とマッカーサー駐日米国大使の間で作成された「討議の記録」という文書の写しが見つかった。そこには「核兵器の日本への持込み」や「事前協議」に関する表現が見られるが、この文書だけで「米国の核搭載艦船の寄港を事前協議の対象外」とする密約があったとはいえないと、有識者委員会は判断した。
しかしその後の日米交渉のなかで、米国政府が「核搭載艦船の寄港を事前協議の対象外」と解釈していることが判明したにもかかわらず、日本政府はあえて追及しないで放置するという「暗黙の合意」があったという。日本政府は「核持ち込み艦船の寄港はない」という説明を繰り返してきたが、そのような説明について、有識者委員会は「嘘を含む不正直なもの」だったとした。
岡田外相も3月9日の記者会見で、
「この問題が長期間にわたり、冷戦後の時期にいたっても国民に対して明らかにされてこなかったことは極めて遺憾だ。冷戦が終わり、アメリカの核政策の変更があったときがさまざまな密約を明らかにする大きなチャンスだったと思うが、結局、従来の答弁を繰り返し、約20年がたってしまった」
と述べた。その一方で、
「岸首相は事前協議制度を勝ち取る過程で、穴を開けざるを得なかった。私が同じ立場にあったとすれば、完璧にできたかといえばそうではなかったと思う」
と当時の政府の対応に一定の理解を示した。
「非核三原則を見直す考えはない」
日米政府が核持ち込みの可能性を承知していたという「暗黙の合意」が明らかになったことを受け、岡田外相は
「今回の調査結果で、特に領海の通過や寄港について、両国政府間で解釈が異なるということが明確になった。あまり想像したくないが、従来、核持ち込みがなかったと言い切ることはできないということだと思う」
と、過去の核持ち込みの可能性を公式に認めた。
そうなると、「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」という非核三原則との整合性が問題になる。その点については
「我々は従来から非核三原則で『一時的な寄港も持ち込みにあたる』という考え方を取ってきているが、そこを変えるつもりはない。日米間には認識の違いがあるが、米国の核政策の変更により、今後核が持ち込まれることはないと考えている」
と発言。現時点では問題がないため、非核三原則を変更する考えはないという見解を示した。産経新聞の記者からは「国際社会の冷徹な現実に照らすと、非核三原則を見直すべきではないか」という意見も出たが、岡田外相は
「我々は非核三原則を見直す考えはない。今の意見は、個人的なものか産経新聞社としての意見か分からないが、一つの意見としてうけたまわっておきたい」
と述べ、「非核三原則堅持」の方針を繰り返し強調した。