取材申し込みや、クラブ入会問い合わせが殺到
もともとスピードスケートの選手。大学卒業後にカーリングと出会い、自ら選手になるとともに、日本にカーリングを普及させる活動を始めた。アルベールビル冬季オリンピック(1992年)は、公開競技ながらカーリング全日本代表チームの監督に。長野五輪(1998年)ではカーリング競技委員長を務めた。世界と日本との実力差を実感していた小林さんは、05年に自費で山梨県山中湖村にカーリング施設「Curlplex Fuji」を建設。運営の山中湖メイプルカーリングクラブの代表になった。以降、選手育成とカーリングの普及に人生をかけた。
代表を務める山中湖メイプルカーリングクラブによれば、前回のトリノオリンピックでの解説以上に今回の反響は大きく、取材の申し込みや、クラブへの入会の問い合わせが殺到。初心者向けの講習は3月までほぼ埋まってしまったという。
「頼りがいがあり、熱い人で、関係者を引っ張っていく親分肌でもある」
クラブの関係者は人柄についてこう話す。クラブを訪れるのは小林さんに会いたい、指導して欲しいという人が多い。今回、解説者として知名度が上がると、一層カーリングの普及につながるのではないか、とクラブでは期待している。