「亡父も票田こそ残してくれたが、遺産はなかった」
しかし、小沢氏自身が新聞記事の中で、正反対のことを言っていたことがわかった。
1983年1月の産経新聞の書評欄にある「私の一冊」というコーナーで、当時自民党の総務局長だった小沢氏が「座右の書」として海音寺潮五郎の『西郷隆盛』を紹介している。小沢氏は明治維新の「英傑」に関心があり、その中でも最も好きなのが西郷隆盛なのだという。明治維新で中心的役割を果たすも、最後は薩摩の不平士族に押されて起こした西南戦争で自決してしまう西郷の一生を「人間味にあふれている」と評価。政治家としての見通しが悪かった点もあるが、「情に流される西郷に人情政治家としての捨てきれない魅力がある」と書いている。
そして、西郷隆盛が述べたとされる「子孫のために美田を残さず」という言葉を紹介。「私の亡父も票田こそ残してくれたが、遺産はなかった」と明かしている。最後は「『自分の道は自分で開け』を処世訓にしている」と結んでいる。
「遺産はなかった」とする27年前の記事と「原資は遺産」とする今現在の説明、どちらが本当なのだろうか。ちなみに4億円の原資については、09年10月には金融機関からの融資と説明するなど、二転三転している。