民主党・小沢一郎幹事長の秘書が、ダム工事受注を巡って、東京・向島で「芸者接待」を受けたと報じられている。真相は不明だが、赤坂ばかりでなく向島も接待場所に使われているのだろうか。
向島接待を報じた新聞各紙によると、小沢一郎氏の公設第一秘書、大久保隆規容疑者(48)は2003~04年、下請け業者の「水谷建設」から盛んに接待攻勢を受けた。
現在は料亭15軒、芸者105人ほど
その舞台になったのが、向島の高級料亭という。産経新聞の2010年1月19日付連載「剛腕の威光」によると、大久保容疑者は、そこで30万円ほどの接待を10回以上受けていた。料亭では、芸者見習いに当たる「半玉さん」の若い女性を好み、水谷側が女性に頻繁に連絡を入れていた。
この芸者接待については、20日になって、大久保容疑者が東京地検特捜部の調べに、複数回受けたと供述していると各紙が報じた。ただ、計1億円もの裏献金については、全面否定している模様だ。
向島は、昔の遊郭にあたる花街、花柳界があるところだ。「見番通り」を中心に料亭街があり、都内では最大規模だという。芸者は1人前と認められれば、「一本さん」と呼ばれ、三味線や踊りなどを単独でも披露する。年齢は、20~70歳までおり、中心は35歳ほど。ほかに、「半玉さん」までいかない臨時お手伝い「かもめさん」もいる。今で言うコンパニオンだ。
明治初期から大正時代にかけ発達し、芸者の取り次ぎなどをしている向嶋墨堤組合によると、1950年代には料亭が200軒ほどあり、芸者も1000人前後いた。ところが、その後減少し、現在は料亭15軒、芸者105人ほどになっている。
人目避け、政財官界の客増える?
バブル期ごろから、向島は逆に、政財官界の利用客が増えていったようだ。
AERAの1996年12月9日号の記事「接待天国 官僚たちの隠れ家、向島でズブズブ」によると、新橋や赤坂の料亭が再開発で客足が遠のいた。その代わりに、格下だった向島が、都心から離れていて人目を避けられる点で80年代半ばから利用されるようになったというのだ。
政財官界からの利用が多いかについて、向嶋墨堤組合に聞くと、「昔からずっと変わらないだけですよ」と答えた。また、大久保隆規容疑者ら小沢一郎氏関係者の評判については、「それぞれのお店でのことなので、知りませんね」という。
遊郭だけあって、時には色っぽいお座敷遊びが繰り広げられていたようだ。AERAの記事によると、官僚接待が問題になった当時、宴会では「お座敷ストリップ」に近いこともあった。また、大蔵官僚が半玉さんの胸元にぐいぐい手をつっこんだりしていたところを、お座敷遊びに付き合った業界紙記者が目撃している。
そんな遊びが今でもあるのか聞くと、向嶋墨堤組合では、「そのようなことはこちらで言うことではありません」とのことだった。