「日本的産業政策はもはや過去の遺物だ」
昨2009年末、大掃除をしていたら、表記の論考を発見した。「Economics Today summer1988」という学術的な季刊誌の中にあったものだ。筆者は私である。今から20年以上昔の自分を見ているようで懐かしかった。
この論考は、政府の白書などでも取り上げられて多少話題になったと記憶しているが、当時の産業構造改善政策について、いろいろな産業のデータを定量的に分析して、もはや意味がないということを論じている。今でも同じであるが、当時も役人が実名で論考を書くのははばかれたが、結論は「産業政策は意味ない」である。この意見は今でも変わらない。
国の助成うけるとその産業はダメになる
09年12月30日、民主党政権がやっと「新成長戦略」(名目で年平均3%、実質2%)を公表した。正月のテレビ番組で、自民党のある政治家は、民主党の成長戦略は自民党のものと内容が同じであると言っていた。そうだろう、元ネタは経産省の役人からであるから、民主党も自民党も内容は似たり寄ったりで、ポイントは、具体的な成長産業をターゲットに掲げ、その産業に各種の助成措置を行う「日本的産業政策」である。今回の民主党の成長戦略では、環境、エネルギー、健康、観光などが成長産業としてターゲットになっているが、官僚に依存した政策では、民主党の脱官僚依存の看板が泣く。
なぜ民主党も自民党も政治家は成長戦略が好きなのか。簡単な成長戦略があれば、世界で貧困問題はとっくに解決しているだろう。つまり、成長戦略は容易に解が見つけられない難問なので、政治家が夢を与えられるからだ。そこに官僚が産業政策という名目でつけいり、政治家のほうにも選挙対策として個別産業・企業とパイプを持ちたいという心境が垣間見える。
成長産業を見いだすという産業政策は、日本独特のモノだ。そんなによければ、とっくに世界中で流行しているはずだ。もちろん、環境、医療などの分野で、国の環境政策、医療政策までを否定するものでないが、国を挙げての産業育成には問題がある。国がある特定産業をターゲットにすると、結果として産業がダメになるというネガティブな話は多い。
日本の戦後成長の歴史を見ても、通産省(現経産省)がターゲットにした産業は、石油産業、航空機、宇宙産業などことごとく失敗している。逆に、通産省の産業政策に従わなかった自動車などは、世界との競争の荒波にもまれながら、日本のリーディング産業に成長してきている。竹内弘高教授(一橋大学)の研究でも、日本の20の成功産業についても政府の役割は皆無だったようだ。要するに、国に産業の将来を見極める眼力があればいいのだが、現実にはそんな魔法はない。必要なのは、国による選別ではなく、競争にもまれることだ。