2010年1月末の任期切れを控え、一時は交代観測も流れたバーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長の再任が決まった。金融危機対応で批判も浴びたが、大胆な金融緩和策を連発し、恐慌を寸前で回避した手腕がオバマ大統領に評価された。不安定な金融市場に不測の混乱を引き起こしかねない議長交代よりも政策の継続性を優先させた格好だ。
夏季休暇先の高級保養地で再任を発表
オバマ大統領は8月25日、夏季休暇先の高級保養地、マーサズ・ビンヤード島(米マサチューセッツ州)で再任を発表。バーナンキ議長を横に「米国経済を危機から救った」と賛辞を送った。だが、再任は必ずしも一筋縄では行かなかったようだ。
08年9月のリーマン・ショック直後、FRBのグリーンスパン前議長は「住宅バブルを放置し、危機を招いた」と「戦犯」扱いされた。グリーンスパン議長時代にバーナンキ議長もFRB理事を務め、当時の超低金利政策を積極的に支持した経歴から「バブルの片棒を担いだ」との非難にさらされた。議長としても「危機対応が後手に回った」と米議会などから批判の矢面に立たされた。
このため、08年11月の大統領選で民主党のオバマ氏が当選した直後から、ブッシュ共和党政権で指名されたバーナンキ議長の交代観測がかまびすしくなった。後任はクリントン民主党政権で財務長官を務めたサマーズ現国家経済会議委員長や、クリントン政権の大統領経済諮問委員長だったイエレン・サンフランシスコ連銀総裁らが取りざたされた。
「議長を上回る選択肢はなかった」
だが、バーナンキ議長は危機後に異例の金融緩和策に乗り出した。立て続けに利下げを断行し、08年12月には米国で初の事実上のゼロ金利政策に踏み切った。09年3月には最大3000億ドルの長期国債の買い取りを決めるなど市場に大量の資金を供給し続けた。
「マエストロ(巨匠)」と呼ばれたグリーンスパン氏の後任で、学者出身の理論家だけに、2006年2月の就任当初は手腕を危ぶむ声もあったが、大胆な行動が奏功し、今春以降、米国経済に底打ちの兆しが出てきた。市場の評価も高まり、09年7月に米ブルームバーグが投資家やアナリストに実施した調査では、金融経済政策のリーダーとして、議長が74%の支持を集め、2位のガイトナー米財務長官(57%)などを大きく引き離した。
オバマ大統領としても、自らの大型経済対策と歩調を合わせてきたバーナンキ議長の「功績」は尊重せざるをえなかったようだ。米ウォールストリート・ジャーナル紙は「ホワイトハウスは複数の代案も考慮したが、(議長を上回る)選択肢はなかった」と伝えた。休暇中という異例の時期の再任発表は「任期切れ直前まで再任が決まらないと、市場に無用の憶測を引き起こし、動揺を招きかねない」との意向が働いたとみられる。