公用車やめモノレール出勤 31歳・新千葉市長の政治哲学

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   千葉市の前市長の汚職事件を受けて行われた「出直し選」で当選したのは、弱冠31歳の元通信会社社員で前市議の熊谷俊人さんだった。全国の現職市長の中では最年少だ。市議を2年務めた以外は目立った政治的キャリアはないのだが、市議選前の1年間は、「一新塾」と呼ばれる政策学校で、政策についての勉強をしていた。新市長と政治の接点を探った。

阪神大震災で被災「この頃から公共を意識する」

   2009年6月14日投開票された市長選は、「自民対民主」の構図で展開。民主党が推薦する熊谷さんが出馬表明したのは告示のわずか1か月前にもかかわらず、自民・公明両党が推薦する元副市長の林孝二郎さん(63)を「約17万票対約12万票」という大差で破った。

   熊谷さんの出身は奈良県だが、父親の仕事の関係で千葉、奈良、大阪、兵庫を転々とする。高校生の時は阪神・淡路大震災(1995年)で被災。熊谷さんのウェブサイトによると、 「電気・ガス・水道などのライフラインが全て止まり、自衛隊のポンプ車のお世話に」なったといい、「当たり前のようにそこにあったものは誰かがどこかで支えていることを痛感し、この頃から公共を意識する」ようになったのだという。

   大学は早大政治経済学部に進学しアジア経済歴史(中国経済)を専攻する一方、詩吟サークルでも活躍。01年には、インターネットの可能性に期待してNTTコミュニケーションズに入社し、企画部門で事業統合や企業買収のプログラムを担当する。

   こうみていくと、阪神大震災の体験以外は、必ずしも政治との接点は多くないように見える。ところが、06年初頭に、07年春の千葉市議選向けに民主党が候補を公募しているのを知り、一念発起。周囲の反対を押し切って退社し、都内から千葉市内に引っ越した。

   熊谷氏が公募に応じてからの1年間の動きが興味深い。06年5月から1年間、政策学校「一新塾」(東京都港区)に所属し、政治活動についての研鑽を積んでいたようなのだ。一新塾は大前研一氏が設立し、現在はNPO法人が運営。OB・OGには、与野党問わず国会議員・地方議会の議員も多い。

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