ロック歌手の忌野清志郎さんが2009年5月2日、がん性リンパ管症のため58歳という若さで亡くなった。まさに「ロックな人生」を生きた忌野さん。同世代だけでなく、20代や30代のミュージシャンやファンも死を悼んだ。その魅力はどこにあったのか。
「凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男」
ロックバンドRCサクセションのボーカルとして1970年にデビューした。社会的、政治的なメッセージを込めた楽曲も少なくなく、反骨のミュージシャンとして知られた。06年7月に喉頭がんを発症。放射線や抗がん剤での闘病を続け、08年2月には日本武道館で復活ライブを果たしたが、08年7月にがんが左腸骨への転移が見つかり、結局、還らぬ人となった。
突然の訃報を受け、ネットでは多くのミュージシャンやファンがブログに心境を書き込んだ。音楽雑誌『ロッキング・オン』の発行人の渋谷陽一さんは5月3日に更新したブログで、「何を書いたらいいのか分からない」と書き出した。最近送られてきたファンクラブの会報に、いつも記載されているはずの本人の近況やコメントがなかったことが心配だったという。
「とにかく、いろいろな事が悔しい。凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男だったけれど、同時にハードで前向きな姿勢を常に崩さなかった」「後ろ向きのセンチメンタリズムを清志郎は潔しとしなかった。俺をネタにセンチになっているんじゃねえよ、と言われてしまわないようにしないと」
渋谷さんはこんな思いを書き込み、同じ時代を生きられた幸運を綴った。
サンボマスター山口隆「喪失感でいっぱい」
ロックバンド「サンボマスター」のボーカル・山口隆さん(33)も同日のブログで、「僕は少年時代から忌野清志郎さんの音楽が大好きだ」と書いている。山口さんにとって、忌野さんはソロになってからの方が身近だったという。
「特に当時テレビドラマの主題歌だった『サラリーマン』という曲は強烈に好きだ」「上京した頃、僕はこの曲をずっと聴いてる事が多かった。思い返すと、自分が上京して親元を離れいよいよ大人に近づいていくことへのぼんやりした不安を、この歌が埋めてくれていたからだと思う」「そして今でもこの曲は僕の中にあるぼんやりした不安を埋めてくれている」
山口さんはいま、喪失感でいっぱいなのだとこぼす。だが、音楽は残って、色あせない――忌野清志郎さんの音楽は残るんだとも記している。
20代、30代のユーザーが多いインターネットのブログやソーシャルブックマークでも、忌野さんの死は大きな話題となった。「はてなブックマーク」では各メディアの記事にたくさんのブックマークがつき、哀悼コメントが捧げられた。ブログで多く語られているキーワードを紹介するサイト「kizasi.jp」でも、ランキング上位に忌野さん関連のワードが並び、SNS「mixi」のキーワードランキングも1位だった。mixiユーザーの日記には、
「あんなカッコイイ人が!ロックンローラーが!清志郎さんが!すごい素敵な人やったなぁ 」
「もう一度生きた清志郎さんの歌声を聴きたかったですが残念です」
「あぁ...死んでしまった...CDを聴きながらいろんなことが思い出されて涙が止まりません... 」
といったコメントが多数書き込まれ、忌野さんの代表曲『雨上がりの夜空に』『ヒッピーに捧ぐ』のYouTube動画を貼り付けている人も見られた。
「その死さえメッセージではないかと思う」
なぜ忌野清志郎さんの死がこれほど語られるのか。ミュージシャンやファンを惹きつけたのは、その生き様だ。忌野さんの魅力について、同世代の音楽評論家・加藤普さん(60)は次のように語る。
「彼の音楽は単なるエンターテインメントではなく、自分の意志・生き方の表明だった。清志郎さんは自分の意志に正直に生きた人だと思います。自分が正しいと思ったことをやる。これはおかしいじゃないかと思うことを言える。破滅的なロックと言うよりは、体制の批判者だったんですね。恰好だけではなく、真剣に生きているということそれ自体が本質的にロックだったんです。そのために、無条件に信頼されたのではないでしょうか」
さらに、忌野さんの死がもつ意味について、加藤さんはこう話した。
「闘病もそうですが、彼はいつも生に対して、真剣に向きあってきた。真面目だった。だから、私はその死さえメッセージではないかと思うのです。我々はそれを引き受けなくてはならないと思います」