日銀の白川方明総裁が就任1年を迎えた。日銀本流の企画畑を歩み、当初は利上げも探ったが、金融危機で情勢は一変。相次ぐ利下げに加え、社債やコマーシャルペーパー(CP)や社債の買い取りなど市場への資金供給拡充策を連発。日銀生え抜きに特有の利上げに積極的な「タカ派」から大胆な金融緩和も辞さない「ハト派」へと変身したのか。
利上げ志向の「タカ派」代表格と思われていた
白川総裁が2008年4月に就任した時の政策金利は年0.5%。福井俊彦前総裁は2006年7月のゼロ金利解除後、「金利正常化」を目指したが、利上げの途上で退任した。「悲願」を受け継いだ白川総裁は就任前、日銀理事から京大大学院教授に転じた「日銀きっての理論派」。「物価の番人」として利上げを志向しがちな日銀出身者でも「タカ派」の代表格と見なされてきた。
実際、08年9月のリーマンショック後の10月8日に米欧が協調利下げに踏み切ったのに対し、日銀は同調しなかった。白川総裁は「自国の経済状況に照らして利上げ・利下げを判断するという中央銀行の原理原則を今後ともしっかり持っていきたい」と利下げ見送りの正当性を強調した。だが、その後に急速な円高と株安が進行。日銀は10月末に7年7カ月ぶりの利下げを余儀なくされ、市場からは「後手に回った」との批判も出た。
ところが、08年12月に追加利下げに動き、政策金利が年0.1%と「貯金」をほぼ使い果たして、ゼロ金利目前に迫ると、セキを切ったように相次ぐ緩和策に乗り出した。
急速に悪化した企業の資金繰りを支援するためのCP買い取り(08年12月)と社債買い取り(09年1月)▽株安に苦しむ銀行の資本を増強する劣後ローン引き受け(3月)。いずれも企業や銀行が破綻した場合、日銀が損失リスクを負う政策で、白川総裁は決定のたびに「異例中の異例」と強調しつつも、「未踏の領域」に踏み込んでいった。市場は「意外なほどハト派」と戸惑いつつも、「学者タイプにしては金融危機に柔軟に対応している」と評価する。
08年12月の利下げ以降、ハト派的政策を連発
関係者によると、「変身」のきっかけとなったのは08年12月の利下げだったという。白川総裁は利下げに慎重だったが、金融政策決定会合の初日の議論でメンバー8人のうち4人が利下げに積極的と判断。真二つに割れるのを避けるため利下げを呑み、「これ以降、妙に吹っ切れてハト派的な政策を連発するようになった」(日銀関係者)。
もっとも、日銀が買い取る対象のCPや社債は高格付けの銘柄に絞り、劣後ローンを引き受ける対象も大手行などに限定した。このため、「日銀の損失リスクは事実上ない。『金融政策が趣味』の学者らしく危機対応の政策をあれこれ並べただけ」(日銀有力OB)との厳しい指摘もある。政府・与党にも「もっとリスクをとるべきだ」との不満がくすぶっており、白川総裁の「変身」が本物かどうか、試されるのはこれからだ。