「養護学校で行き過ぎた性教育が行われている」などとして都教委と都議が人形などの教材を没収したことに対し、養護学校の元教員らが「教育への不当介入」と訴えていた裁判の判決に、各紙の評価が真っ二つに割れている。特に今回は、知的障害児に対する性教育のあり方が焦点になったが、「(子どもたちに)分かりやすいようにと考えた末の結果」と擁護する声もあれば、「首をかしげる人は多いのではないか」と突き放した見方もあり、様々だ。
抽象的な事柄の理解が困難な障害児にどのように伝えるか
裁判は、東京都日野市の都立七生養護学校=現・七生特別支援学校=に勤務していた教諭ら31人が都や都議3人などを相手取って、計3000万円の慰謝料を求めていたもの。訴えでは、2003年に都議と都教委職員らが学校を視察した際に教材の提示を求め、学校側は性器が付いた人形などを示すと、都議らは「常識では考えられない」「感覚が麻痺している」などと非難、教材を没収した。これに対して、原告側は「一連の出来事は教育への不当介入」「必要な性教育ができなくなった」などと主張していた。
09年3月12日に東京地裁であった判決では、都議らの行為が、「一方的な批判で侮辱」とした上で、旧教育基本法で禁じられた「不当な支配」にあたると判断。3都議と都に対して、慰謝料約210万円の支払いを命じた。視察の様子を「過激性教育」として報じた産経新聞も一緒に訴えられていたが、同紙に対する訴えは退けられた。
原告側が事実上勝訴した形だが、これに対する評価が割れているのだ。社説でこの判決をテーマとして取り上げたのは、少なくとも4紙あり、見出しを並べてみただけでも、こんな具合に「真っ二つ」だ。
「創意つぶす『不当な支配』」(朝日新聞、3月14日)
「『不当支配』認定 教育介入へ当然の判決」(東京新聞、3月16日)
「過激な授業は放置できない」(読売新聞、3月16日)
「性教育 過激な内容正すのは当然」(産経新聞、3月14日)
見出しからは、「教育現場への介入」のとらえ方が2紙ずつで大きく食い違っていることが分かるものの、今回の裁判では、「抽象的な事柄を理解するのが困難な知的障害児に、どのようにして知識を伝えるか」という点も問われた。
読売は「首をかしげる人は多いのではないか」
今回原告となった教諭らは、「(指導が)学習指導要領に反する」として都教委側から厳重注意処分を受けているが、判決では「同要領に反し、同校の児童生徒の発達段階を踏まえないものだったことが明らかだったとは言えない」として、知的障害児に対する指導内容を事実上支持。この点についても、各紙の評価が分かれている。やはり、朝日・東京の2紙は、
「知的障害をもつ子どもたちが、性犯罪の被害者にも加害者にもならないためにはどうしたらいいか。現場の教員らは日々悩みながら工夫を重ねていた。やり玉にあげられた人形は、自分のからだの部位を把握することも難しい子どもたちに、わかりやすいようにと考えた末の結果だ」(朝日)
「性教育は研究の歴史が浅く、さまざまな方法論がある。知的障害がある子供への性教育指導はさらなる工夫もいるだろう。特別支援学校では試行錯誤しながら実践の仕方を探っているのが実情だ。学校の努力を調べないまま、都議のいう"常識"だけで判断できる問題ではない」(東京)
と、きわめて原告側に同情的だ。一方、読売・産経は、
「普通の小中学校の場合と(養護学校が)同列に論じられないのは、その通りだろう。しかし、性器の付いた人形の使用まで必要なのか、首をかしげる人は多いのではないか」(読売)
「同校の当時の性教育には保護者の一部からも批判が寄せられていた。保護者の同意、発達段階に応じた教育内容など性教育で留意すべき内容から逸脱したものだ。(中略)学校の授業は外部の目に触れにくく、独りよがりの授業がなかなか改善されない。保護者や地域の人々が教育内容を知り、不適切な内容に改善を求めるのは『不当介入』ではない」(産経)
と、やはり「対象が知的障害児であることを考えても、指導は不適切」との立場だ。都議の一部は、すでに控訴の考えを表明しており、高裁でも、性教育のあり方について議論を繰り広げられることになりそうだ。