週刊誌などから話が漏れることも多い
「オフレコ懇談」をきっかけに政権がダメージを受けるケースは少なくない。例えば、02年には福田康夫官房長官が、いわゆる「非核3原則」を見直すともとれる発言をしたとして、被爆者団体はもちろん、与野党から非難の声があがった。この発言は「政府首脳」の発言として報じられたが、福田氏は記者会見の場で発言について質され、
「(政府首脳に)真意を確認したが、そういうことは言っていないとはっきり言っていた」
と、1人2役を演じる「珍場面」もあった。結局福田氏は、「政府首脳」が自分であることを認めた上で、「非核3原則は堅持する」と、火消しに追われる結果になった。
閣僚の辞任にまで発展したケースもある。
1995年10月、江藤隆美総務庁長官(故人)が、記者会見後に、
「これからは雑談。記事にする話ではないし、メモもとらないでほしい。若いみなさんの参考のためにお話ししよう」
と切り出し、
「日韓併合条約は、法的に有効だった」「植民地時代、日本はいいこともした」
などと述べた。
前出の2つのケースとは違い、「名前を伏せたとしても、記事にはしない」という形のオフレコだ。ところが、会員制月刊誌「選択」に「フタされた某現職閣僚の暴言の中身」と題して、江藤氏の名前を伏せた形で懇談の内容が報じられたのだ。さらに、韓国の東亜日報が、「江藤長官が妄言」と、発言の主を特定した上で報じてもいる。東亜日報の東京支局に、匿名の手紙で詳しい情報提供があり、複数の日本人記者が同紙の確認取材に応じたという。東亜日報の記事を受けて、報道各社は江藤氏に対してオフレコの解除を求めたが、
「解除には応じられない。オフレコの約束は守ってほしい」
として拒否。だが、発言への批判が高まったこともあって、結局は長官辞任に追い込まれた。
オフレコ懇談をめぐっては、「起こっている事柄の背景を知るために必要」との声がある一方、「取材対象との距離感・緊張感を保てなくなるのではないか」との批判もある。
元朝日新聞編集委員で経済ジャーナリストの阿部和義さんは、「出来るだけオフレコ解除への努力をすべき」との立場で、
「確かにバックグラウンドを知るためには必要なのですが、記者にとっては難しい問題です。オフレコで話されることは、記者にとって興味をそそられることが多いですからね。ただ、週刊誌などを見れば分かるように、どこかから話が漏れることも多いのも事実。後で『犯人探し』をしてもめるよりは、懇談中に『これ、書きますよ』と、オフレコ解除の努力をするのが筋なのではないでしょうか」
と話している。