女性の言い分は信用できる、となる理由
――物証がなくて証言しかない場合、どうして「女性側の証言は正しい」と判断されるのでしょう。
井上 痴漢でなくても、二つの意見が対立する「水掛け論」の場合、刑事でも、裁判官が元々「どうせ有罪だろう」と思っているんですよ。実際、司法統計を見ると、起訴された事件の99.9%は有罪になっています。それが現実です。はっきり言ってしまえば、審理なんかせずに有罪判決を書いてしまっても、統計上はほぼ間違いはない。ですから、裁判官の目の前に新しい事件(起訴状)がやって来ると、まず「有罪の目」で起訴状を読んでしまう。統計というのは圧倒的な重みがあって、「こいつ、こんなことやったのか」と思いながら読んでしまう。仕事が速い人は、その場でパソコンを立ち上げて、有罪判決の下書きまで作り始めますよ。例えば懲役であれば、「1年」とか「1年6か月」とか、数字の部分だけ空欄にしたものを作っちゃう。仮に無罪になったとすれば、この作業は無駄になりますが、それはまずありませんね。
――やっぱり、無罪を勝ち取るのは難しいのでしょうか。
井上 統計的にほとんどが有罪ですから、よほど有罪にするのを妨げるような要素がない限り、有罪ですね。例えば再現実験をやって、「物理的に手が届くはずがない」といったことが立証されるなどしないと、無罪は無理でしょう。
そういう決め手がない限りは有罪だと、裁判官が思っているんです。だから、5分5分だと、有罪になってしまう。
――冤罪は多いと思いますか?
井上 そうですね。色々調べてみて、「こんなに適当な事実認定なのか!」と、びっくりしましたね。自分の在職中は、そんなことはしませんでした。普通だったら当然無罪になるような「水掛け論」でも、有罪なんですよね。例えば、判決文には「女性の言い分は信用できるが、男性の言い分は信用できない」と書いてあることが多いのですが、男性の言い分が何故信用できないのかが書いていない。
裁判官がそういう運用をしていれば、検察官も、それに引きずられてしまう。教科書通りの運用がなされていれば、「水掛け論は無罪」のはずなので、検察官も起訴しないはずです。そうなれば、警察の側も「こんな事案を送検してもつぶれてしまって、おしかりを受けるだけだ」と、早期釈放につながるはずです。
本来ならばそうなるはずなんですが、裁判官が「水掛け論でも有罪」とやってしまうので、検察官も警察官もひきずられてしまう。ベルトコンベヤーになってしまう。裁判の現場が緩んじゃってて、教科書通りにやってないんですよ。
条例違反の事件は、基本的には、簡易裁判所で扱うのですが、簡易裁判所の裁判官は、特に雑だと思いますね。書記官や検察事務官だった人など、正式な法曹資格を持っていない人が裁くことがあるんです。法律の素養に欠ける人もいて、判決にムラがあるんですよね。民事でも、「判決の書き方が分からず、適当に和解を勧めているだけ」というケースもありました。