朝日新聞記者も「会って直接取材」
また、「告白」記事の中では、事件のとき一緒だった「若衆」が後に自殺したことがきっかけで「いつか時が来たらこの事件の真相を表沙汰にしなければならない」という思いがあったとも明かしている。また、網走刑務所へ入った後に朝日新聞側と接触を試み、06年に刑務所で朝日新聞の記者と「特別面会」したとも明かしている。週刊新潮の記事は、「次号」へ続くため、「告白」の全体像はまだよく分からない部分もある。
週刊新潮の「告白」記事について、朝日新聞はどう受け止めているのだろうか。J-CASTニュースの取材に対し、朝日新聞広報部は次のように答えた。
「告白」している人物からは、「2005年から06年にかけて朝日新聞社に『襲撃事件の実行犯』と名乗って手紙が届いた」という。朝日新聞記者がこの人物に会って直接面会、取材した。また、週刊新潮からの問い合わせ(09年1月)に対しては「面会内容やこれまでの取材結果から、この事件の客観的事実と全く異なる点が多々ある」と回答している、という。また、「告白」中に出てくる「朝日記者が面会時に『喧嘩腰で怒鳴る』などとある点」については、「そういった事実はありませんでした」。
朝日新聞の回答は、全面的に「告白」の信憑性を否定しているように受け取れる。次号の週刊新潮には、信憑性が確認できる中身が掲載されるのだろうか。
(メモ:朝日新聞阪神支局襲撃事件)1987年の憲法記念日である5月3日夜、男が朝日新聞阪神支局(兵庫県)に侵入し、散弾銃を発砲し、小尻知博記者(当時29)を殺害、犬飼兵衛記者(同42)に重傷を負わせた。88年3月の朝日新聞静岡支局爆破未遂事件などいずれも「赤報隊」を名乗る犯行声明や脅迫文が届けられ、一連の事件は警察庁指定116号事件として知られる。阪神支局襲撃事件が2002年5月に公訴時効となるなど、一連の事件すべてが公訴時効となっている。