春闘が本格化するのを前に、御手洗冨士夫・経団連会長(キヤノン会長)に対する「逆風」が強まっている。最近も複数の週刊誌が、御手洗会長を批判する記事を相次いで掲載しているほか、過去には、偽装請負の問題をめぐり、キヤノンへの批判的な記事も多かった。一時期は、リーダーシップの欠如から「早期降板説」までささやかれた御手洗会長だが、今でも、専門家からは「御手洗氏は米国生活が長いこともあり、日本のビジネス流儀を知らない。元々、経団連の会長の器ではなかった」と、冷ややかな声が聞こえてくる。
「御手洗経団連よ、メザシの土光さんが泣いている」
特に御手洗氏への批判ぶりが際だっているのが、2009年1月26日発売の週刊誌2誌だ。
週刊ポストは「雇用崩壊のA級戦犯 御手洗経団連よ、メザシの土光さんが泣いている」との記事を冒頭に持ってきた。記事では、2代会長の石坂泰三氏が、派閥抗争に明け暮れていた自民党の状況に憤り、鳩山一郎首相に対して「この際、お辞めになったらいかがですか」と直言し、「財界総理」という言葉が生まれたというエピソードや、国鉄の民営化などを提言した「土光臨調」で有名な4代会長の土光敏夫氏の質素な生活ぶりを紹介。それと対比する形で、建て替え後の経団連会館の豪華ぶりを指摘。さらに、「今の御手洗経団連体制になってから傘下企業は非正規切りに走っている」などと批判している。
一方、週刊現代は「キヤノン御手洗会長『脱税コンサル社長』との関係」との記事を掲載。キヤノン大分工場の用地が造成される際、ゼネコンが作った裏金を受け取ったとされるコンサルタントの男性が、御手洗氏と親密な関係にあった、などと報じている。記事によると、キヤノン広報部は「二人は同郷の知人で、休日などにいっしょに会食したことはある」と回答している。記事がどこまで正しいかは定かではないが、キヤノンと御手洗氏には芳しくない「風評」が付きまとっているのは確かだ。
御手洗氏が経団連会長に就任したのが06年5月で、経団連会長は2期4年を務めるのが慣例とされているため、任期は2010年5月まで。ところが、08年5月に始まった2期目に突入する直前にあたる07年末~08年始めにかけては、リーダーシップの弱さなどから「途中降板説」が盛んにささやかれた。実際、経済ジャーナリストの長谷川洋三氏も、J-CASTニュースの記事の中で、御手洗氏に「2期目はどうしますか」と、「途中降板」を示唆した質問をぶつけたことを明かしており、それに対して御手洗氏は
「2期4年という会長任期を前提にヴィジョンも発表している」
と、「降板説」を否定したという。
23年間米国、という長い海外経験が裏目に出た
だが、先代の奥田碩会長の時代は、ここまで経団連会長に対する批判が強くなかったのも事実。御手洗氏と奥田氏との違いについて、経済ジャーナリストの阿部和義さんは、「器の小ささ」「海外経験」「政界との距離感」の3つを挙げる。
「器の小ささ」を象徴するひとつが、朝日新聞がキヤノンの偽装請負問題を報じたことを受けて、キヤノンが06年末から一時期、同紙に対するイメージ広告の出稿を取りやめた、とされる出来事だ。07年11月に日本記者クラブで行った会見では、御手洗氏は
「広告の効率の問題。一般的に、企業広告は企業のイメージを上げるためにある」
と話している。
さらに、御手洗氏は23年間を米国で過ごしたことから、
「日本の財界での『つきあい方』が、あまり分かっていないのでは。キヤノンの社長としては良かったのでしょうが、経団連の会長ともなると、プラスアルファがないとダメでしょう」
と、「長い海外経験が裏目に出たのでは」と見る。
御手洗氏は、安倍元首相と密接な関係にあったことも有名だ。安倍氏がベトナムや中東5か国などに外遊した際、御手洗氏も財界から100人以上を引き連れて随行。阿部さんは
「政界と財界の距離感が、まるで分かっていません。まさに『金魚のフン』以外の何者でもありません」
と批判する一方、安倍氏が突然退任したあと、様相が一変したことを指摘する。
「福田前首相は、安倍元首相にべったりの御手洗氏との距離を置いたのです。御手洗氏は、ほぼ『切られた』と言ってもいいでしょう」
御手洗氏と安倍氏との「蜜月関係」が、思わぬ形での揺り戻しを招いた、ということのようだ。
これと関連して、経団連自体の影響力が低下しているとの見方も根強く、09年に入ってからは、
「『小沢政権』誕生なら『財界総理』は経済同友会に?」(「エコノミスト」09年1月27日号)
という観測記事も登場する、という有様だ。