「トレンドがほとんどない東京にいてもしょうがない」
高城さんと打ち合わせで同席したことがあるプログラマーによると、高城さんは91年ごろから「ハイパーメディアクリエーター」を名乗っていたという。
海外での活躍も多い。98年1月の日経産業新聞のインタビューでは、その意義について、
「日本が大好きなんだが、創作活動となると米国の方が圧倒的に仕事がしやすい。クリエーターを支えるビジネスの基盤があるからだ」
と語り、96年4月には、朝日新聞の「アエラ」で、豊富な海外渡航経験を披露している。同誌によると、高城さんは「山手線より国際線に乗る回数の方が多い」といい、
「太平洋線を中心に、月平均10回は国際線に乗る。この3か月に回った国は20か国で、乗るのは大体ビジネスクラス。予約は空港に向かう車の中から携帯電話で入れたりする。ほとんどバスに乗るような感覚だ」
と紹介されている。08年には、格安航空についての著作「70円で飛行機に乗る方法」(宝島社新書)を発表してもいる。
ところが、前出の「ニュー・リッチの王国」によると、ここ3年ほどで、10年以上かけて集めてきたものをほとんど処分してしまったのだという。処分されたのは、10万冊にのぼる本や雑誌、DVD、ブランド品などで、削減率にして90%以上、段ボールにして1000以上にのぼったという。愛車のポルシェに乗るのもやめ、移動はもっぱらハイブリッド車と地下鉄に切り替えた。
激変した後のライフスタイルについては、同インタビューで、こう明かしている。
「いまはほとんどロンドン・ベースで暮らしているんですよ。ここ1年は…。ボクにクリエイティブ戦略を求めるクライアントは世界に点在していますし、DJも世界中でプレイできますからね。(略)流行商売をやっているのにトレンドがほとんどない東京にいてもしょうがないでしょう」
「異常気象に対応するためにも、1か所に定住しない生き方がベターですよ。これを、グローバルにやる。トライ&エラーをくり返し、自分に最適なやり方を探す。まだ、なにが正しいかはわからないですけど、様子見だけはしていません」
最近のインタビューでは沢尻さんは、高城さんについて
「大人だし、私はハタチそこそこのクソガキだけど、一緒にいて楽」
などと話していたが、高城さんの独特な生き方に魅力を感じたのは間違いなさそうだ。