危機を迎えつつある新聞業界は、「ネット化」に向けて突き進むべきか、それとも、もうしばらくは紙媒体に踏みとどまるべきなのか。「インターネットは未来を変えるか?」などの著書があり、ネットと既存メディアとの関係についての考察を続けている評論家の歌田明弘さんに、インターネットが新聞経営に与えた影響と、今後の見通しについて聞いた。
――いつ頃から、「ネットは新聞経営に影響を与える」という印象を持ち始めたのですか。
歌田 ネットで無料でニュースが読めるようになった時点で、どうなるのかなと思いましたね。ニューヨーク・タイムズは、「ウェブ・メディアの登場をほうっておけば、アメリカの新聞収入の屋台骨のクラシファイド広告(求人などの小広告)が奪われる」というレポートをコンサルタント会社から受けとったことをきっかけにサイトを立ち上げた。なぜやらないといけないかについての経営的な理由がはっきりしていた。日本の新聞社は、なぜネットメディアなのかということが、経営的にはあまりはっきりしていなかったのではないでしょうか。
新聞社の危機はネットメディアの現状と表裏
新聞社のネット事業展開の可能性について語る歌田明弘さん
――「新聞離れ」が指摘されますが、新聞の読者が「ネットに移った」のでしょうか。それとも、単に「読まなくなった」のでしょうか。
歌田 私は出版社出身ですが、毎月4000円の出版物を買ってもらうのは至難の業です。新聞を購読しているのは当たり前みたいな感覚があったときにはあまり考えずにとってもらえたかもしれませんが、90年代以降、家計がどんどん苦しくなり、支出を見直す必要が出てきて、しかもネットでニュースを手に入れるという代替手段があったとなれば、苦しくなるのは当然です。
いまは苦しいのは新聞社だけではないので、新聞業界以外の人間にとっては「ネットの登場で苦しい業種がもうひとつ出てきた」ぐらいのことともいえるわけですが、新聞社がなくなることが社会にとってどういう意味を持つかが重要ですね。
新聞社が倒産しても、同じような機能をネットメディアが担うのであれば、社会のダメージはそれほどないともいえるわけです。しかし、少なくとも日本では、さしあたりそう簡単に移行が成立しないのではないかと思います。
――新聞の評価すべき役割を挙げるとすれば、どのようなことですか。
歌田 やはり、社会に緊張感をもたらしているところでしょう。大上段に言えば、「権力の監視」ということになるわけですが、いろいろな軋轢が生じるにもかかわらず、それを社会的な使命だと思って追及し、正確さも損なわないようにするというのはかなりたいへんなことです。あらためてそういうと「そうかな」と思う人もいるかもしれませんが、新聞社以外の人はじつはあまりよくわかっていない。そこがそもそも問題といえば問題です。
新聞社のほうは、当然そうしたことは理解されているはずだと思っているのかもしれませんが、そうではない。
「ブログもジャーナリズム」といった議論がよくされていますが、ジャーナリズムのひとつだと思ってブログを書いている人もいるでしょうけど、そう言われると戸惑う人も多いでしょう。アメリカの場合は、ブログが物書きのデビューのための装置として機能しているところがあると思いますが、日本はあまりそうなっていない。無償の行為であれば、リスクを負うことまで求めるわけにもいかない。「私のブログはジャーナリズムだ」というのは自由ですが、そうであれと要求するのは要求しすぎ、というところもあります。
また会社組織であっても、ネットメディアは経営基盤が弱いところも多いので、取材などにお金をかけたり人手を割いたりすることもできず、多くのリスクを負って記事を書くこともしにくい。新聞社の危機というのはネットメディアの現状の問題と表裏になっているのだと思います。
――元ライブドア社長の堀江貴文さんは、「自分でメディアを立ち上げる」と宣言したことがあります。ネット上で、新聞社や通信社に代わるような動きが出てくると思いますか。
歌田 ネットでやろうと思ったら、お金儲け以外のモチベーションも必要でしょう。堀江氏の場合は、「ちょっと一泡吹かせてやろう」みたいな山っ気があったから自分でニュースをやろうと思ったのかもしれませんが、ただ儲けたいだけなら、新聞社みたいなことをネットでやるよりもほかのことを選ぶのではないでしょうか。
もちろん、かつて経営的な問題はともかく新聞を発行し始めた人たちがいたように、やる人が出てこないというわけではないでしょうが。
紙を全部やめてネット移行すると、10分の1以下の収入になる
――新聞社は、紙媒体からネットにすべてを切り替えてしまうと、収入が大きく減ってしまいますね。
歌田 そうですね。現状では、日経以外はデジタル部門の収入は全体の1%あるかないかのようですから、紙を直ちに全部やめてネットに移行すると、おそらく10分の1以下の収入になってしまうでしょう。無料でアクセスする人が増えても広告価値はそんなには上がらないので、購読料を失えば、ダメージはきわめて大きい。
――かなり読まれていたとしても、お金は沢山取れない。
歌田 アクセス数だけで広告料が決まるとなると、苦しいでしょう。
ただ、行動ターゲティング広告とか、無料にしても登録制を導入するなどして読者プロフィールがわかれば、新聞社サイトの利用者は比較的高収入の人が多いようですから、購買力のある人がアクセスしているということで広告料を高く設定することも可能になってくるかもしれません。
ウォール・ストリート・ジャーナルのサイトの記事は有料のものが多いですが、有料でもアクセスしてくれる読者がたくさんいるということで、広告料金を高く設定できている。完全無料化してしまえば、広告料金を引き下げなければならないようなことも起こってくるようです。
――それは、「ウォール・ストリート・ジャーナルが経済紙だから」という、特殊要因があるようにも思えます。
歌田 経済や、サブカル、音楽といった分野や特定の世代・層に特化するなど工夫が必要でしょう。一般のニュースを扱うだけでは、厳しいでしょうね。
――朝日・読売・毎日のような大手でも、なかなか利益を生むのは難しそうですね。
歌田 おっしゃる通りです。そう考えると、経営的には、大手の新聞社が安易にネットに全面移行するなどというのは考え物で、発想としては後ろ向きでジリ貧かもしれませんが、紙媒体にしがみつくほうが結局は長く生き延びられるのかもしれません。
ネットメディアは広告依存度が高く、そういう意味で不安定な要素が大きい。アクセス数を増やすためにきれいごとばかりを言っているわけにはいかないという側面もある。だから、経営的な意味だけでなく、質を保つという意味でも、購読料を捨てないことがさしあたり最大のリスク管理かもしれません。
ネットに全面移行するなどというのは、新聞社にとってだけでなく、社会にとってもプラスではないでしょう。そうはいっても、経営的に苦しくなってくれば、広告などいろいろな面でいずれにしても質の劣化が起こってくる可能性は大きいわけですが。
――紙でできる限り粘って、ネット以外の、他のやり方を模索する?
歌田 いまさらネットを無視するわけにはいかないでしょうけれど、少なくとも大きな新聞社は、まだまだコスト削減の余地がじつはあるのではないかと思います。米国に比べれば購読もされ、韓国などとは比べものにならないぐらい日本の新聞は信頼されてもいるという恵まれた環境があるので、コスト削減できれば生き延びられる余地は大きいはずです。
もっとも、自分たちが決めたルールが多くて、手を縛っているところもあるのではないかと思います。それでコスト削減ができないとなると、やはり危機は免れられないことになります。
例えば、通信社の配信でカバーできるところはして、それでカバーできないところに集中するというやり方もあるでしょう。ただ、大手の新聞社は、まさに通信社のような仕事をする方向にいよいよ向かう可能性もあります。他メディアも含めた多くのサイトにニュースを配信する。新聞の購読者がいよいよ少なくなり、広告以外の収入源を求めるならば、ニュース配信会社になるというのもひとつの選択肢です。多メディア状況が出現しているわけですから、自社媒体だけに固執する必要はないし、実際のところそれは無理でしょう。
歌田明弘さん プロフィール
うただ・あきひろ 1958年生まれ。評論家。東京大学文学部卒業。青土社「現代思想」編集部、「ユリイカ」編集長をへて、93年よりフリーランス。アメリカ議会図書館の資料の編集などをする一方、メディアや科学技術をテーマにした執筆を中心に活躍。著書に「ネットはテレビをどう呑みこむのか?」「科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた」など。「週刊アスキー」にコラムを連載中。