日銀は2008年12月、急速な円高や景気後退の深刻化に対応するため、政策金利を0.2%引き下げ、年0.1%とし、企業が資金調達のため発行するコマーシャルペーパー(CP)の買い取りなども決めた。追加利下げやCP買い取りには慎重な姿勢を示してきたが、政府や市場の「包囲網」が強まる中、ほかに選択肢もなかったのが実情のようだ。
白川総裁は追加利下げに慎重だった
「ぎりぎりまで考えた。決めたのは今日だ」。日銀の白川方明総裁は追加利下げを決断したのは、利下げを決定した金融政策決定会合の直前だったことを明かした。日銀は利下げへの慎重論が根強かった一方、「利下げを見送ると円高が加速しかねない」というジレンマに直面していた。白川総裁の判断は土壇場まで考え抜いた末の結論だった。
日銀は08年10月末、金融危機による株価暴落と円急騰に背中を押されて、政策金利を年0.5%から0.3%に引き下げ、7年7カ月ぶりの利下げに踏み切った。
その後、白川総裁は追加利下げに慎重な考えを繰り返した。日銀には「今後の景気悪化に備えて利下げを温存したい」との思惑が強かった。新たな企業の資金繰り支援策も決めており、「政策効果を見極めたい」との考えが支配的だった。 だが、「100年に1度」とされる金融危機は日銀に猶予を与えなかった。日銀の12月短観は、第1次石油危機以来の景況感の急速な冷え込みを示した。さらに、米連邦準備制度理事会(FRB)が、市場がほとんど予想していなかったゼロ金利政策に踏み込み、円は13年ぶりの1ドル=87円台に急伸した。
米ゼロ金利政策を受けて、市場は日銀の追加利下げを織り込み、円高がひとまず止まった。これで利下げを見送ると、円高が一段と進む恐れがあった。さらに中川昭一財務兼金融担当相や与謝野馨経済財政担当相らが相次いで追加緩和への期待感を表明した。日銀が応じなければ、「景気後退の長期化は日銀の責任」との汚名を着せられかねなかった。