日本の新聞社が一大危機を迎えている。広告激減に部数落ち込み。そして、なにより読者からの信頼が揺らいでいる。新聞は崩壊してしまうのか。連続インタビューで「新聞が抱える問題点」を様々な角度から浮き彫りにする。第1回は、「談合体質」が問題視され、世界でも珍しい「記者クラブ」について取り上げる。「ジャーナリズム崩壊」などの著書があり、ニューヨークタイムズ東京支局取材記者などを経て、現在フリーのジャーナリストである上杉隆さんに話を聞いた。
首相会見に記者クラブがNOを出す
日本では珍しくない「記者会見で権力側に事前に質問を渡す記者」は「世界では例がありません」と話す上杉隆さん。「そうしたことが読者に少しずつばれて来ている」
――記者クラブによる「厚い壁」を感じたときは、どんなときですか。
上杉 取材対象へのアクセス権を記者クラブという特殊な組織が独占していることが、そもそも問題なのです。
私は国会議員の秘書としてニュースを出す側の立場として記者クラブの内側にいたこともあり、また、質問権のない海外メディアというオブザーバーの記者としても、そして現在のフリーランスとして、クラブのまったく外側から、というようにさまざまな立場から多くの事例を見てきました。
小渕恵三首相時代のエピソードが印象に残っています。当時、NYタイムズの東京支局は、小渕首相へのインタビューを考えていました。議員秘書時代のつてを通じ申し込むと、小渕首相からOKの返事がありました。事務所側から、内閣記者会(記者クラブ)への告知を求められ、単に首相動静用の日程連絡というつもりで知らせました。すると、記者クラブからは「単独インタビューは認められない」という答えが返ってきました。
当然、支局長は怒りました。仮に首相側が拒否したというなら記事は書ける。単に「首相はインタビューを拒否した」と書けば良い。しかし、首相はOKしたが、政府機関でも何でもない記者クラブという組織が拒否したのでインタビューはできなかった、と説明しても、ニューヨークの読者は誰も理解できない。アメリカをはじめ世界各国には記者クラブなどないのですから。
――日本の記者クラブを外国メディアの記者はどう見ていますか。
上杉 世界の笑いものです。以前は韓国にも同種の記者クラブがありましたが、既になくなりました。私が調べた限りでは、記者クラブに近い制度があるのは、日本とアフリカのガボンだけです。アジアも南米も、もちろんそんな制度はなく、日本にきた記者たちは驚いています。
――どんな点に驚くのでしょうか。
上杉 例えば、政治家取材のときのメモ合わせ。政治家が何を話したかを各社が確認し合う行為です。こんなことを海外メディアでやれば即クビです。当然盗用の疑いを持たれますし、仮に、偶然でも似た記事が出ることがあれば、必死にそれが偶然であることを証明しようとします。ところが日本では、他社と同じような記事が出ていると安心する、というまったく逆のマインドが罷り通っています。
しかし、記者クラブ内だけで情報を独占し、横並びの記事を出すという今のやり方は、もう限界に来ています。ひとつにはインターネットの影響があると思います。以前は、政治家から聞いたそこそこの情報を1週間ぐらい置いて、いろいろ加味して記事として出す、ということも可能でした。しかし、今では国会議員自身がブログやHPで、早ければ瞬時にドンドン詳しい話を書いてしまう。官邸の中に入った議員の情報は1次情報ですから、当然詳しい。すると新聞記者がその情報をもとに記事をすぐに書いたとしても翌朝新聞が届くころには、ネット読者はもうその話を知っている、という事態になっています。
――芸能界でも、芸能人本人が最初にブログで発表してしまうため、芸能関係記者も困っているようです。
上杉 そうですね。国政だけでなく、いろんな所で同じようなことが起こっていると思います。
――記者クラブ側の言い分はどうなのでしょうか。加盟したいと言っても、一定の常駐時間を要求される例もあるようですね。様々な案件の中から実際にどの話で記者会見を設定するのか、といった調整をクラブがやっているのに、そこに外部の人間が入るのは「フリーライド」ただ乗りではないか、という不満もあるようです。
上杉 政治記者の究極の仕事は権力の監視です。だが、役所などの中にいて、「ただ見ている」だけでは監視とは言いませんし、何の意味もありません。権力を監視するということは、役所内クラブに何時間いるか、ということとは関係ありません。また、様々な案件への対応という点は、日本の新聞社が、本来通信社がやるワイヤーサービスと、新聞社がやるべき評論・分析、調査報道の仕事とを分けずに全部やっていることから発生している問題です。
発生したことを単にストレートニュースとして報じるのは、海外では通信社の仕事です。閣僚クラスへのぶら下がりなんかもそうです。APやロイターなどに任せています。そしてNYタイムズやワシントン・ポスト、ル・モンドなどの新聞社は、ジャーナリズムとしての記事などに力を注ぎます。この役割分担は、世界の新聞がやっていることです。
日本の全国紙の幹部と、新聞社と通信社の役割分担について話したことがあります。彼らは、共同(通信)や時事(通信)は信用できないと言います。では、自社に通信社の子会社を設立した上で、記者の大部分を移したらどうか。通信記者はより安い給料で雇えるし、新聞社としては人件費の面で身軽にもなる、新聞社本来の仕事に集中できる。こう提案すると、いいアイデアだ、秘策中の秘策だね、と驚くので、「いえ、通信社と新聞社の分業システムは、全世界でやってる話です」と答えたんですが。全国紙の記者は大雑把にいって今の10分の一の1社300人もいれば十分でしょう。
――いいアイデアだと思っているのに、全国紙はなぜ踏み切れないのでしょうか。
上杉 そんなことは無理だ、できない、と彼らは言います。しかし、現在の状況はすでにできる、できない、を議論している段階ではなく、やるか、やらないのか、になっているのです。まだなんとかなる、と勘違いしているのは、日本の新聞社では、編集・記者出身者が経営陣に加わるというゆがんだシステムが影響していると思います。いわば経営の素人が会社を経営している訳ですから。アメリカでは編集と経営は分離されています。優秀な記者が経営に携わろうと思ったら、MBA(経営学修士)を取るなどして会社に入りなおさなくてはなりません。経営と編集は別の職業なのです。
民主党はすでに記者会見を非クラブ加盟社外にも開放
――記者クラブ制の改革の面でも、経営サイドが熱心に取り組んでいるようには見えませんね。
上杉 先ほども触れた通り、日本の新聞社の経営者は記者出身です。彼らは記者クラブにどっぷりつかった上で、それなりに活躍をしてきました。クラブにもいろいろありますが、ライバル会社同士なのに仲良しというのも珍しくありません。すると、彼らにとっては、自分の成功体験・人生と記者クラブが重なってくるのでしょう。クラブを否定することは、自分たちの人生を否定することにつながる、という感覚なんでしょうね。
――記者クラブ制に問題があるのでは、ということは以前から漠然とは言われていました。著書の中で今回、具体的に問題点や現状を指摘されました。クラブの内側の人たちからの反応はありましたか。
上杉 若い記者の人たちから大きな反響がありました。自分もクラブ制度に疑問を感じていると。OBの人たちからは、「オレたちの頃よりひどくなってるな」という感想が寄せられました。昔はメモ合わせなんてしてなかったそうです。こちらから言わせれば同じ穴の狢なのですが。なによりも一定の年齢より上の現役の人たちは「上杉、許せない」と言っているようです。直接の抗議はないのですが、私の記事や著書に対し不満を持っている人は相当数いるな、と実感しています。逆に、政治家や官僚からは「よく書いてくれた」という反応が多いです。思うところがあるのでしょう、「あいつら、やっぱりおかしいだろ」と言いたかったようです。
――以前、首相の会見を記者クラブ主催ではなく、官邸主催にしたらどうか、と官邸側に持ちかけたことがあるそうですね。
上杉 官邸主催の話は、うまくいきませんでした。しかし、実は民主党は、岡田克也幹事長時代から記者会見をクラブ加盟社以外にも開放しています。それまで国会内控え室でやっていた会見を、党本部でするようになったのです。雑誌記者やフリーも入ることができます。ところが、私の知る限り新聞はこのことを1行も報じていません。長野県や鎌倉市でクラブが開放されたときは大騒ぎしたのにもかかわらずです。民主党番記者でも知らない人が多く、私が教えるとびっくりしていました。もちろん民主党職員でも知らない人がいたくらいです。
一度開いたものを閉じると相当な批判があります。よって、民主党は、もう閉じられないのです。総選挙の情勢はまったく分かりませんが、仮に民主党が政権を取った場合、民主党が記者会見をクラブ会員だけに限定する、今の記者クラブシステムと同じでやる、というのは難しいと思います。問題は、権力側から記者クラブ開放を実現されてしまう形になることです。そんなことになる前に、自分たちの力で自らクラブ開放をすべきではないか、と言ってるんですが。
――内閣記者会の反応はどうですか。
上杉 無視ですね。問題が存在してないことになってますから。
――今後、記者クラブはどうなっていくと予想しますか。
上杉 約150年前の日本は鎖国状態でした。地政学的に可能だったわけですが、交通手段の発達により、結局、日本は鎖国体制の放棄をせざるを得なくなりました。他業種が世界標準という荒波にもまれる中、これまで日本のメディアは日本語というバリアに守られてきました。だがそうした日本語という障壁による鎖国システムも限界に来たようです。ネット上の翻訳ソフトの発展には目覚しいものがあり、すべて正確、という訳にはいきませんが、「大体の意味は分かる」というレベルには達していて、情報によってはそれで十分だ、という場合もあります。
また、米大統領選のときオバマ候補へ世界中から寄付が集まった背景の一つには、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)のフェイスブックの活用がありましたが、これは英語だけでなく、アラビア語や韓国語などほとんど全ての国の言葉で変換して参加できるような仕組みになっています。
こうした現実をみていると、記者クラブが存続する可能性はどんどん狭まっています。日本語というバリアが崩壊に向かっていると感じています。そのときになって外資メディアが乗り込んできて、仕方なく記者クラブを開放するよりも、自ら変わる方が生き残る可能性が高いと思います。新聞社が経営的にやっていけなくなる、という危機が到来する中、記者クラブだけが残っても意味はないですからね。実際にどこか1社が倒れて、というショック療法で記者クラブ制度が崩れていく、というのは十分考えられます。
メモ:記者クラブ制度
1890年、帝国議会の取材を求める記者たちが「議会出入り記者団」を結成したのが始まりとされる。官庁や警察、地方自治体など各地に存在し、日本新聞協会加盟の新聞社やテレビ局が加盟している。記者会見などを主催し、加盟社以外の会見への出席は拒否するなどしている。日本新聞協会の「編集委員会の見解」によると、記者クラブは、公的機関などを継続的に取材するジャーナリストたちによって構成される「取材・報道のための自主的な組織」だ。さらに「情報開示に消極的な公的機関に対して、記者クラブという形で結集して公開を迫ってきた歴史がある」と振り返っている。「『開かれた存在』であるべき」「外国報道機関に対しても開かれており」などともうたっている。これに対し、上杉隆さんは、著書「ジャーナリズム崩壊」の中で、「ほとんどブラックジョークと見紛うほどである」と批判している。
上杉隆さん プロフィール
うえすぎ たかし 1968年、福岡県生まれ。NHK報道局やニューヨークタイムズ東京支局の取材記者を務める。鳩山邦夫衆院議員の公設秘書も経験。現在フリーのジャーナリストとして主に政治分野を取材している。著書にベストセラーとなった「官邸崩壊」や「ジャーナリズム崩壊」などがある。