両親の名前を出さずに地道にライブ活動
祐太朗さんは高校3年生の時に、中学の同級生らとロックバンド「Peaky SALT」を立ち上げた。その経緯について、祐太朗さんはバンドの公式ホームページ内の日記に08年10月1日、こう書いている。
「中学2年冬、隣のクラスだったキミ(メンバーのキミヒデ)との出会いは未だ鮮明に脳裏に焼きついています。当時の彼は先輩とバンドを組んでいたこともあり、金髪で目つきが鋭く、近づくものには容赦なく噛み付き、『邪悪な小型犬』と呼ばれ周囲から恐れられていました。そんな彼が僕に近づいてきてこう言い放ったのです。
『おいお前ぇぇ、歌うたえるんだってぇ?今度テストするからなぁぁあ(白目で) 』
あまりに突然で、あふれ出る恐怖を抑えながら返事をするのがやっとでしたが、今思えばそれがPeaky SALTの始まりでした」
他のメンバーとの出会いについても、独特のユーモラスな文章で綴っている。高校3年の文化祭で本格的にバンドとして活動するにあたり、固定のドラマーを探していた。そんな時に、「スーザン」という愛称で親しまれる「スヤマ」と出会った。
「2つ下に超重量級ヘビメタ(ヘビーメタボ)ドラマーがいるという噂を聞きつけた僕らは、ハンバーガー片手に近付いていき、一斉に取り囲み、見事スーザンの餌付けに成功したのでした」
大学卒業後は一般企業への就職も考えたらしいが、両親の承諾を得て、音楽の道に進むことを決めた。「親の七光り」と思われるのが嫌で、両親の名前を出さずに地道にライブ活動を続ける。そんな中、制作したデモテープがプロデューサーの目に留まり、08年5月にレコード会社バップと契約。11月に念願のデビューを果たした。
デビュー曲「イトシセツナナミダ」は、祐太朗さんが家庭教師をしていた男子中学2年生の実体験にヒントを得て詩を書き下ろしたという切ない恋物語だ。そのキャンペーンのため、祐太朗さんは1人で札幌、盛岡、仙台、郡山、浜松、名古屋、津、京都、大阪、神戸、福岡と全国各地を飛び回った、と公式ホームページの08年12月13日付けの日記で明かしている。他のメンバーは東京で新曲に取りかかっており、「ピーキーソルトの宣伝は俺にまかせろ精神で、気合い入れて頑張ってきました」。初キャンペーンということもあり、「不安と緊張が入り交じってほんの少しだけナーバスになってた」が、やってみたら、「そんなもの全くの無駄だったと思えるほど毎日が刺激的で楽しくて、何より人と人とのつながりの暖かさを感じる事ができて、最高に素晴らしいキャンペーンになった」とし、手応えを感じたようだ。
その一環で08年12月1日にスポーツ報知北海道総局を訪れたようだ。同月28日付け「スポーツ報知」は前出の記事の中で、祐太朗さんの印象についてこう書いている。
「取材での話し声は小さく、おとなしそうな印象だった。『俺が、俺が』のタイプでなく、育ちの良さも感じさせた。この場でも親のことに触れることはなかったが、顔つきはまさに両親の遺伝子を受け継いでいる印象だ」