2009年1月26日の春節(旧正月)までまだ2か月もあるのに、中国各地で農民工(出稼ぎ労働者)は、沿海部から内陸部へと少しずつ移動し始めた。今回はいままでの一時帰郷とは違い、まったく次の仕事が見つからず、しばらくは農村に滞留する人が多い。
「一日数万人は帰ってきている」
中国でもっとも貧しい内陸の省である貴州省の貴陽駅では、広東省、淅江省などから帰ってきた農民工が、天秤棒で布団や日常品を担ぎ、駅からすぐ次の長距離バスのバス停に流れ、それぞれの県に戻っていく。「一日数万人は帰ってきている」と地元のテレビは報じる。
内陸の農村から沿海部への出稼ぎは数千万人にのぼるが、アメリカの「サブプライム破綻」によって引き起こされた国際金融危機が、一番に先に打撃を与えたのは、この数千万人の中国農民工だったかもしれない。
貴陽の街のあちこちで見られるは、竹か藤で作ったかごを背負って道端で立っている人である。買い物などをしてちょっと重くなると、人を呼んで、荷物をかごに入れて、運んでもらえる。1キロぐらいの距離だと、運び料金は1元(1元=14円)だけである。タクシーの初乗り料金は3元であり、1元もさほど安くはない。
冬のない貴州省ではいつでも建設作業が可能だが、セメント、鋼材、労賃が10月から暴落したにもかかわらず、首都である貴陽市では、「今は新規建築はほとんどない」(地元の新聞記者)。
出稼ぎ先だった沿海部での仕事も、めっきりと減った。江蘇省丹陽市でドリルをつくる会社を経営している陳社長は、「今年の年頭に労働者の雇用はほんとうに苦労した。一人でも見つかったら、わし自ら車で迎えに行った」とこぼす。しかし、10月になると、鉄鋼価格の暴落を受けて、注文がほとんど取れなくなり、「本当は労働者を半分ぐらいは首にしたいが」と胸の内を明かす。逆に募集用の電話は鳴りっぱなし。「景気はいつ回復するか、わからないので、今はとても人は雇えない」(陳社長)。
景気刺激策は内陸部の振興につながるのか
改革開放の30年間、中国の農村部の人口は8億前後だったが、都市部は1億から現在の5億まで膨張した。北京、上海の場合は、都市人口の三分の一ぐらいが流動人口で、その多くは出稼ぎのために都市部に来ている農民工である。若い年齢層はさらにその傾向が強い。金融危機が長く続くと、数千万人の農民工はいずれもとの農村に帰らなければならない。ただ、一人あたりの耕作面積も狭く、農村も都市から帰ってきた人を受け入れられない。
沿海部の部品工場で十数年間も働き、技能も高いのに、金融危機の余波で仕方なく会社を離れる人がたくさん出てきた。天津、蘇州などで大型の工場を持っている或る日系企業の総経理(社長)は、「内陸部で下請け企業でもつくって、今度の危機を乗り切ってもらいたい」と話す。ただ、その日系企業も今すぐには生産拡大の計画はない。せっかく訓練を受けた人が内陸部に散っていくのは損失だ。
中央政府が景気刺激のため4兆元を投資、各地方もそれぞれ数千億元単位の追加投資をしている中、かつてないほどの額は一挙に中国市場に出回る。これで逆流する数千万人の農民工の雇用が作り出せるものだろうか。これが成功したら、いままで口だけだった内陸部の振興がはからずもできてしまうのだが。
(J-CAST北京)