急激な円高・株安を受けて、2008年10月31日、日銀が7年7か月ぶりの利下げに踏み切った。日銀は利下げに慎重な姿勢だったが、利下げを期待する政府・市場に背中を押された格好だ。さらに、利下げを決めた金融政策決定会合は利下げ幅をめぐって賛否が分かれ、最終的に白川方明総裁が決断する異例の展開となった。
与謝野馨経済財政担当相が外堀を埋める
日銀は政策金利である短期金利(無担保コール翌日物)の誘導目標を0.2%引き下げて、年0.3%とすることを決めた。利下げは01年3月に政策金利年0.15%からゼロ金利誘導の量的緩和政策を導入して以来だ。
米国発の金融危機対策で米欧が08年10月8日、協調利下げを実施した際、日銀は同調しなかった。その後も日銀の山口広秀副総裁が就任会見で「政策金利は極めて低い」と述べるなど利下げに慎重な姿勢を崩さなかった。
だが、危機は日本にも上陸し、円相場は13年ぶりの1ドル=90円台に高騰。日経平均株価は26年ぶりに7000円台を割った。米欧が追加利下げに動くことも確実視され、与謝野馨経済財政担当相が「利下げは国際協調の証しとして大事だ」と発言。与謝野氏は06年のゼロ金利解除に理解を示すなど「日銀シンパ」として知られるだけに、日銀は外堀を完全に埋められた形となった。
「できるだけ小刻みにしたかったのでは」
財務省には「米欧が利下げし、日銀が金利を据え置くと、米欧と日本の金利差がさらに縮小して、円高が一段と進行してしまう」との懸念があった。市場では「ドルが円以外で上昇している状況では、円売り・ドル買いの協調介入は難しい」との見方が一般的。このため、「日銀も利下げに王手がかかった」との観測が急浮上していた。
決定会合では0.2%の利下げを白川総裁が提案。白川総裁と山口副総裁、西村清彦副総裁、野田忠男審議委員の4人が賛成したが、残る審議委員4人(須田美矢子、中村清次、亀崎英敏、水野温氏の各氏)が反対し、賛否同数だったため、白川総裁が02.%利下げを決定した。決定会合を開く政策委員会の定員は9人だが、ねじれ国会のあおりで審議委員1人が空席となっており、賛否同数という異例の事態を引き起こした。
反対した4人のうち、3人は0.25%の利下げを主張し、1人は「利下げ効果は限定的」と据え置きを求めた。8人のうち7人が利下げ自体には賛成したが、利下げ幅で意見が割れたことになる。白川総裁は0.2%にとどめた理由を「金利を下げすぎれば、(金融機関が資金を融通する)短期金融市場の取引が細り、かえって資金の流れが悪くなる」と説明。ただ、市場では「利下げ余地が乏しいので、さらなる利下げをにらんで、できるだけ小刻みにしたかったのでは」との観測も流れている。