空席だった日銀副総裁に、2008年10月27日、山口広秀日銀理事が就任した。政府が半年ぶりの空席解消を図ったのは金融危機の最前線で対応に当たる日銀執行部の正常化を急いだためだ。市場では「白川方明総裁の補佐に適任」との評価がある一方、「正副総裁3人のうち2人が日銀出身で占められ、政策の幅が狭くなりかねない」との懸念も出ている。
政府・与党とのパイプも持つ貴重な調整役
2008年9月の米リーマン・ブラザーズの破綻以来、日銀は臨時の金融政策決定会合を3回も開き、米欧の中央銀行と協調したドル資金供給を決めるなど「非常時」の態勢で臨んできた。米欧当局とは首脳同士の緊密な連携が欠かせず、「副総裁空席」は国際的な政策協調にも支障が出かねない状況になっていた。
といって、今春の正副総裁人事で旧大蔵省・財務省出身の候補が相次いで民主党に不同意とされた「ねじれ国会」は変わっていない。このため、「財務省出身者は無理」(政府筋)との空気が支配的で、民主党も受け入れやすい日銀幹部の起用が固まった。
副総裁候補としては、ともに元日銀理事の平野英治トヨタファイナンシャルサービス取締役や稲葉延雄リコー特別顧問の名前も取りざたされた。だが、最終的には麻生太郎首相と白川方明総裁が協議して決めたとされる。山口氏は白川総裁の信頼が厚く、「副総裁は山口氏しかいなかった」(日銀OB)。
日銀が量的緩和政策を解除した06年3月、企画局長だった山口氏は上司の企画担当理事だった白川総裁とのコンビで解除に向けた地ならしに当たった。「理論家ぞろいの半面、政治は苦手」とされる日銀で、「山口氏は政府・与党とのパイプも持つ貴重な調整役」と称される。人事や調査統計など幅広い分野を経験し、行内管理にも精通している。
「日銀内部の論理に偏った政策運営になりはしないか」
ただ、これで正副総裁は日銀出身の白川総裁と山口副総裁、東大教授から日銀審議委員を経て就任した西村清彦副総裁となった。これは、1998~2003年の速水優総裁時代(日銀出身の速水総裁と山口泰副総裁、時事通信出身の藤原作弥副総裁)以来、正副総裁を日銀出身者2人で占める陣容だ。
速水総裁時代の日銀は00年に政府の反対を押し切ってゼロ金利解除を強行。日銀はその後の景気悪化の責任を負わされ、日銀内ですら「当時の体制は失敗だった」との声が聞こえる。
日銀出身者は利下げよりも利上げを志向しがちな傾向があり、市場では「金融危機や景気後退局面を迎え、日銀の金融政策も機動的な対応を求められる時期だが、日銀内部の論理に偏った政策運営になりはしないか」と懸念する声もある。日銀は山口副総裁の就任直後の2008年10月末に利下げを決定したが、これから実体経済の本格的な悪化が予想される中、政策判断の真価を問われることになる。