田母神(たもがみ)俊雄航空幕僚長(60)が懸賞論文で政府見解に反する主張を展開し、最優秀賞の受賞が発表された直後に更迭された。この懸賞論文を募集していたのは、ユニークな帽子をかぶった女社長がホテルのCMに登場することでも有名な「アパグループ」。田母神氏自身がグループ代表の出版記念パーティーに出席していたほか、「田母神氏以外にも多くの自衛隊員が応募していた」との指摘もあり、自衛隊と同社との関係に注目が集まりそうだ。
ユニークな帽子をかぶった女社長がCMに登場
田母神氏はアパグループの出版記念パーティーにも出席していた(写真は会場の「アパホテル『東京ベイ幕張』」)
この懸賞論文を募集していたのは、ホテルやマンションの開発を手がける「アパグループ」。「私が社長です」のキャッチフレーズで、帽子をかぶったアパホテルの元谷芙美子社長がCMに登場することなどでおなじみだ。2007年1月には同社のマンションで耐震偽造が発覚し、元谷外志雄・アパグループ代表と芙美子社長が開いた謝罪会見も、記憶に新しいところだ。
元谷代表は、長者番付で北陸1位(00年)になったこともある富豪だが、保守系の言論活動を活発に行っていることでも知られる。例えば朝日新聞の過去の記事を見ただけでも、地元の石川県版で少なくとも3度にわたってインタビューに登場し、憲法改正や有事法制整備の必要性を訴えている。
08年には、著書「報道されない近現代史」(産経新聞出版)を出版。今回の懸賞論文も、この本の出版を記念して、社会貢献活動の一環として行われたもので、目的は「日本が正しい歴史認識のもとに真の独立国家としての針路を示す提言を後押しすること」。募集は08年5月10日から8月末にかけて行われ、230点以上の応募があったという。
審査委員は、保守派として知られる上智大名誉教授の渡部昇一氏や、産経新聞客員編集委員の花岡信昭氏など4人。花岡氏が08年11月4日の産経新聞紙上で明らかにしたところによると、応募作品は社内審査で20数点に絞られ、筆者名を削った上でCDに焼いて各審査委員に送付。これを事前に読み込んだ上で、2回の審査委員会が開かれ、最終段階で高得点を獲得していることが明らかになったのが、田母神氏の論文だったという。
懸賞論文には50人以上の自衛官が応募していた?
これだけを見ると、「もともと、田母神氏とアパグループに特別なかかわりはなかった」かのようにも見えるが、実際はそうでもないようなのだ。
田母神氏は前出の「報道されない近現代史」の出版を記念して08年6月2日に開かれたパーティーで、招待客の一人として挨拶しているのだ。産経新聞が6月10日に伝えたところによると、パーティーが開かれたのは、千葉市美浜区にあるアパホテル「東京ベイ幕張」。西武鉄道が所有していた「幕張プリンスホテル」を、アパグループが05年に約132 億円で買収した。
記事によれば、パーティーでの田母神氏は、航空自衛隊のイラクでの活動の一部が違憲とされた判決に「そんなの関係ねぇ」と発言したことが問題化したことを念頭に
「私は危険人物らしいが…」
と述べて会場を沸かせた上で、
「戦後、自分の国を守る言論は抑制されたが、反日的、日本の悪口をいう言論は自由だった。安全保障の根幹の問題が解消されない限り、この国を立派に守っていく態勢はできない」
などと持論を展開したという。パーティーには1500人が出席し、臼井日出男・元防衛庁長官も、あいさつに立ったという。
新聞各紙が11月4日に報じたところによると、懸賞論文には50人以上の自衛官が応募していたという。これが事実とすれば、アパグループと自衛隊が密接な関係にあり、応募の働きかけが組織的に行われた可能性もありそうだ。
アパグループの東京本社社長室では、
「『締め切りはいつだったのか』などの単純な質問以外は、12月8日の記者発表の時までお答えしていません」
とコメント。記者発表の場では、アパグループと自衛隊の関係についての質問が集中しそうな情勢だ。