【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
31. 商用試験サービススタート NTTからの花輪も立てられた

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「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   新宿の街は、クリスマスイブの雑踏を横目に、紅白の幕が引かれた「めたバー」の前の駐車場では粛々と開所式のテープカットが行われていた。1999年12月24日の昼下がりである。

   KDD社長の花輪とならんでNTT東日本社長名の花輪が隣の商人宿の壁に立てかけてあった。私と小林君がハサミを持たされ、社長として小林君が如才なく挨拶をした。上手いものである。KDDの池田氏から祝辞をもらったことを憶えている。

   NTT東の相互接続推進室の顔見知りとなった幹部の顔も見えた。彼らや郵政省の誰かから、今日の日を迎えられてとかなんとか、祝辞をもらったはずだ。テーブルの下では激しい足の蹴りあいをしていても、なんとも和やかなものであった。

   詰め掛けた報道機関のフラッシュがたかれ、アイモが回り、このイベントに向け積み上げてきた苦労の報われていることが実感できた。

   その夜、この情景は電波に乗って日本中に流された。また翌日の全国紙は、同じく24日にNTT西日本も九州大分で始めたニューコアラのADSLサービスも紹介し、解説記事で溢れることとなった。

   式典も終わり、ベンチャーキャピタル株主などを含む参列者を「めたバー」に招き入れ、どうにか間に合ったADSLのご開陳に及ぶ。専用線LANの世界では当たり前なのだが、メガ単位のスピードでインターネット映像が、電話線にとつながったパソコン上に踊る。

   これがADSLモデムというやつでスプリッタでこう分離して、こうつながって、そう電話も同時に使えるんですよと、初デビューした松井事務所のお嬢さんたちの声がはずんでいる。

   NTTも始めたようですが、どこで見られます、などと意地の悪い質問も飛び出す。はたしてこの日の参列者がADSL通信の技術的説明にどれだけ納得して帰っていったのか怪しいものであった。

   だが、この日本で、のちにブロードバンド通信と普通に呼ばれるようになる何かが始まったことを強く印象づけ、東めた恐るべしとの感慨をいだかせることには成功したようだった。

   ADSL商用試験サービスがこの日スタートしたのである。既存の電話線で、全く新しい形のインターネットアクセスのサービス事業が、この日、立ち上がったのである。

   会社設立の6か月前は、農協有線放送以外には影も形もなかったADSLなるものを、なにしろ我々が世に出現させてしまったのである。日本の5千万本の電話メタル線は、この日、新しい価値を得たのである。こんな感激にひたることの出来た1日であった。

   しかし、NTTは依然、たかを括っていた。お手並み拝見、という余裕が列席者とのこの日の会話でも歴然としていた。規制緩和に乗り出した郵政省の顔もこれで立ったし、という所であったのだろう。少々の計算違いは、まったく予想外のところから現れたベンチャーの存在であった。

   だがこれとて一時の騒ぎで終わるだろう。ISDNで当座をつなぎ、光ファーバーでブロードバンド通信は全部こちらでいただく、この基本路線に揺らぎはないと確信がうかがえた。 電話100年の歴史で築いて来た自分たちの通信拠点要塞は、アンバンドルなど言ってもそんなに簡単に入り込めるものではありませんよ、この壁は厚いですよ。まあ、たかが数ヶ所の電話局が空いたからといってそんなにはしゃぎなさんな、私がその日の和やかな呉越同舟の式典でいらついたのはこの余裕であった。

   10億円では足りないな、DDIと合併するKDDは大丈夫だろうか、10人ちょっとの人数では問題外だな、などなど、その年末年始に久々にくつろぐことのできた我々は、スタートした商用試験サービスそのものが次に乗り越えねばならぬ壁として眼前に立ちはだかっていることを意識してゆくのである。

   2000年を迎えようとしていた東めたは、起業ベンチャーから事業ベンチャーへと、その運命の転換を迫られていたのである。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

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東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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