「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
アナログ音声信号を送るため開発されてきた銅製のメタル線を使うデジタル高速通信方式は、通信事業者の誰もが想定しなかった奇想天外な着想である。
これは、80年代に確立した半導体微細加工技術の発展とそれに依拠した90年代の信号処理プロセッサーの小型チップ化・高性能化が、距離さえ問わなければメタル線でも光ファイバー並みの速さでデジタル信号を送ることを可能とした。
何千人もの研究者をかかえて何千億円もの年間研究費を費やすNTTがなぜこのADSL技術を自ら実用化して、彼らが一貫して主張してきた高速通信マルチメディア時代のリーダーシップを取ろうとしなかったのか。これは大いなる謎であると同時に独占に胡坐をかいた巨大組織が停滞自滅する格好の事例である。
NTTは、公益のために存在するという自覚を、すっかり失っていた。
公共事業体であった電電公社時代が終わり、民営化されて経営の自由、特に人事の自由を得ると、民間会社の多くがそうであるように、サラリーマン社長が全権を掌握した。
民間では市場獲得に敗れたり、技術進歩に対応出来なくなれば、経営者は無能の烙印をおされ、経営責任を追及される。そうして旧態とした経営陣は新しい経営者により放逐される。
だが、半官半民の独占企業では、この新陳代謝の浄化作用が働かなかった。
会社権力の確保だけを自己目的化した労務上がりや財務上がりのような内部抗争の達人たちがこの会社を私物化してきた。
携帯電話の急成長企業ドコモは、この権力闘争に敗れたか出世競争に嫌気がさした骨のある人材たちが、追放されて全くの自力で築き上げた事業なのだ。このような方法でしか、この会社は新規事業に進出する事が出来ない。
そしてそこが上手く行くようになると、この腐敗した経営陣が社長を送り込み、その圧政的構造に取り込んでしまうのだ。
固定電話事業の収入減が見えてくると、会社権力の掌握はそのままに、10万人単位の「合理化」を平然と下部に強要した。だが1兆円以上の損害を被った海外事業進出では罰せられた経営者は誰もいない。
こうして、リスクがある海外進出は怖いということになり、それに向けた人材も育てていないため、依然サボータージュが平然と行われたままになっている。
こうした経営体質が、進取の気性をもち、顧客サービスの新時代のために身を挺して頑張るようになると考えるのは甘いのだ。彼等は、ひっぱたかれても、追い詰められても、権力を如何に維持していくか以外に考える事はないのだ。救いようのない連中だ。
ISDNが中途半端な技術で、ダイヤルアップ性能以上は出ないことは彼らも重々承知していた。わざわざ遅いISDNを、デジタル公衆網などと言って大宣伝したのは、遅いインターネットにうんざりさせて国民を意図的にFTTHへ追い込む作戦であったことは間違いなかろう。
もう1つのADSLの効用である従量制課金を破壊する定額料金常時接続はどう考えていたのであろうか。この課題も短期間ではあるが意識的に無視された。
インターネットユーザーのバースト的なデータ通信に時間あるいはデータ量による従量課金を続ければ、膨大な通信料収入が見込めたのだ。
そもそもインターネット普及前に決定されたこのNTTの方針では、インターネットの IP通信からの上がりは収入勘定に入っていなかった。これは意図せざる大特需だったのである。
FTTH囲い込み資金を調達する天の恵みのドル箱である従量制課金を手放してはならない。電話局に設置された馬鹿高い電子交換機のCPU処理の9割以上は、もっぱら従量課金計算のために使われているというのだから、交換機を通さないADSLはもっての他である。
ただし、FTTHによる国民囲い込みの目処が立てば、固定料金にして専用線のように確実な安定収入源としようという構想はあったのだろう。
このように、国民の通信需要の構造的変動を推し量ってADSLという極小の設備投資で済む便宜を提供することを、なんの躊躇なく拒否していたのである。現状の変化に応じて、経営基本方針を柔軟に組替えるなどという思考はNTTには存在しないのだ。
FTTH、光ファイバーの呪縛に組織全体が金縛りにあっていたのだ。それでも、この段階で、NTTは将来に対し、かつてない自信をもっていたはずだ。
民営化以後の最大の規制であった会社分割も骨抜きにしたのだから、インターネット特需に乗って、FTTHとISDNの両輪からなる無敵の戦車は、NTT経営陣を通信独占の「千年王国」に導くはずであった。
光が売りものとする速さに近い性能が出せるADSLに、もしNTTが手を出したとしたらこの構図は全て狂ってしまう。千年王国は遠のくばかりなのだ。NTTがADSLを採用しなかったこれが真の理由だ。
TMCなる予想外の殆ど特攻隊といってよい集団が相互接続交渉の席に現れるまでは。
我々がNTTとの相互接続交渉で商用試験サービスという突破口に辿り着いていたことはすでに述べた。この商用試験サービスなるスキームは、ADSLの普及推進を強く主張する郵政省とNTTとの妥協の産物であった。
NTTは都内5電話局で、それぞれせいぜい200のユーザーを募って、自分達だけの閉じた実験でお茶を濁したかった。本音を言えば、郵政省の顔を立てればよかった。
実験局数やユーザー数の少なさがなによりもこの意図を物語っている。前年のフィールド実験以上のものが期待できないのは目に見えていた。
そこにTMCがこの実験を一緒にやろうと言い出した。手を打って喜んだのは郵政省である。TMCは救いの神だった。NTT単独の実験では、その中身にくちばしを挟めない。ところが、相互接続交渉でNTT以外の通信業者が出てくれば話は全く別だ。郵政省にNTT内部方針を取り仕切る権限はないのだが、交渉で出てきた他事業者の接続要請にNTTが正当に対応したかどうかを調査し、不適切な対応があれば改めさせる行政指導の権限は与えられている。電気通信事業法のドミナント規制条項によってである。
この権限を行使して、ADSLを他事業者がやれるように、NTT内部を存分に調査し、指導監督できるのだ。他事業者がADSL事業をやれるようにすれば、NTTもADSL事業に踏み切るようになるのではないか。
間接的とはいえ、ADSL普及をNTTに強要できる立場にも立てるのだ。
勿論、ソフトバンクはこの時点で影も形もかった。イー・アクセスもアッカも誕生していない。郵政省の目的は、NTTにADSLをやらせることにあったのである。
これをもっと正確に言えば、TMCの登場で商用試験サービスは、本格商用サービスへと変わらざるを得なくなったのだ。試験とはいえ、ユーザーに課金するのだから、NTTは通信事業者憲法ともいうべきサービス約款をADSLサービスも含むように改変する必要が出てくる。
これを怠れば、行政指導権を行使すればよい。また、業者約款と密接な関係を持つ電気通信事業法施行規則の改訂が必要となるが、こちらは省令だから問題が起こりえない。
約款と省令を修正することが、この相互接続交渉のターゲットだ。これさえ終われば、ADSL事業は晴れて解禁となり、誰でも事業として始められる。後続業者は、申し込めば、何の苦労もなくただちにサービスが始められる。本格商用サービスへの移行には何の障害もない。ただ、もっともらしい時期に宣言しさえすればよい。
全て準備は商用試験サービス起動によって完了しているのである。
【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。
1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。
東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。
写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。