外とかどこも出られへんかった ホンマ、バッシングの最中は辛かった
亀田興毅選手に聞く

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   日本ボクシング界になにかと話題を提供してきた元WBA世界ライトフライ級チャンピオンの亀田興毅選手。独立後、メキシコで行われた試合で大差の判定勝ちを収めた。大晦日には弟の大毅選手を破ったWBC世界フライ級チャンピオンの内藤大助選手とのマッチメイクも囁かれている。ボクシングへの思いや、今後の抱負や展開を聞いた。

――様々な経緯を経て「亀田ジム」が誕生したわけですが、自分を世界チャンピオンに育ててくれた「協栄ジム」を離れることに不安はありませんでしたか。

亀田 なんでもマイナスに考えんと、プラスに考えて行くのがオレの性格やから。だから協栄ジムを辞めたところで、またええ方向に考えて、もっともっと「亀田」という名前を売ったらええやん、ってそういう気持ちでやっているから、協栄を離れて悲しいというのはなかった。悲しいと考えたら、悲しい方向に行ってしまう。何でもプラスに考えるようにして、腹が立っても、いい方向に考えていかんと明日につながっていけへん。海外でもどこでも試合はできるわけやから、実際にメキシコで試合しているわけやし。

「やっぱりな、今後イメージも良くなって、いいようになってくれたら!すぐにはできへんけど…」

インタビューに答える亀田興毅選手
インタビューに答える亀田興毅選手

――メキシコに渡ってよかったと思っていますか。

亀田 実際は孤独やし、難しいことも多かった。体重の調整とか、今までとは勝手が違うから。練習時間も全然違うし、飛行機乗っていろんな州を行ったり来たりし、スパーリングしたりとか。日本だと何でもスムーズに進んで、キッチリしているけど、メキシコはその場その場の話で、突然試合が無くなったりするし、オレなんか2回試合がキャンセルになっているわけやから…。難しかったけど、(三男の)和毅が向こうでずっと生活してやってるわけやんか。そんな姿を見ているわけやから、オレが長男やのに、兄貴やのに何をしているんやと。オレができないのはおかしいやん、と。3ヶ月間向こうにおって、あの難しい状況の中でやってきた3ヶ月というのは、オレの中で今まで一番ためになった時間ですよ。

――そして「亀田ジム」が承認され設立されました。本当はいつかは独立ジムを作る予定があったのではないですか。

亀田 後々は、という考えはあったよ、亀田ジム。これから大毅が世界チャンピオンになって、和毅が世界チャンピオンになって、そのときには大きなビルを建てて経営していく。そういうふうなことを考えているよ。今は練習生を取ることはしてないけど、まぁ電話かかってきて「入らせてください」といったら断ることはできない。こちらから募集はせえへんみたいやけど。

――「一国一城の主」になったようなものですから、自由にボクシング活動ができるのではないですか。

亀田 でもまぁ、これからボクシング界の先輩方の色々な意見やアドバイスを聞いて、ボクシング界を盛り上げるようできる範囲で協力してやっていきたい。亀田ジムも(後見人の渡辺ジムの)渡辺会長が、協力してくれたおかげでできたわけやから。感謝している。やっぱりな、今後イメージも良くなって、いいようになってくれたら!すぐにはできへんけど…。ちょっとずつの積み重ねで良いようになって、協力してくれた人に泥を塗らんように、協力してよかったなと思ってもらえるようにこれからもやっていきたい。

――「亀田一家」に対するバッシングが相当ありました。どう感じていましたか。

亀田 新聞、雑誌に作られたイメージがあると思う。マスコミも仕事やから売れるように面白おかしく見出し作ったりするやんか?それはそれで仕方ないと思うけど、ある程度一線を越えんようにマスコミ側もやってもらいたい。こっちはこっちで変えていくよう努力するように、マスコミも変わってもらわないと、ボクシング界も良くならないと思う。オレはバッシングされても潰れへんし、夢があるからそれに向かって突き進んで行くだけやから叩かれても気にせぇへんけど、これから努力して上がってくる選手をまた叩いたりしたら、スポーツ自体が腐ってしまうから。俺は夢に向かって突き進んでいくだけ。

「試合の後、リングに入るタイミングが悪かったな」

ファイティングポーズをとる亀田興毅選手
ファイティングポーズをとる亀田興毅選手

――スポーツ選手も人気商売だから、あれだけ注目が集まるのはある意味「勲章」ではないですか。

亀田 あのバッシングの最中は、外とかどこも出られへんかった。(ジム兼自宅の)前にはマスコミがいっぱい居るねん。テレビ付けても文句ばっかり。インターネット開いても文句ばっかり。凄いわ、ホンマ。監禁。地獄…。
辛いよ。誰が人の悪口いわれて喜んでるヤツおるん。実際はそういう人間ではないかもしれないというのに、「亀田」という名前に反応してカキコミをしている。まぁ、書いている人たちもストレスが溜まってるんやと思うし、「亀田」でストレス発散してるんならそれはそれでいいと思うよ(笑)ちゃんと仕事をして、ストレス抱えて、インターネット開いてオレの文句、悪口を書くならええねんけど。それはそれで俺はその人のためになったってことやから(笑)

――これまでのヒール(悪役)スタイルは「演出」なのではないか、という指摘もあります。

亀田 オレは昔も今も何も変わったことはないよ。ずっとこのまま来ているわけやから。でもな、ボクシングも注目されなあかんから、オレも注目集めるためにパフォーマンスはするし、何かしてくれと言われればすることもあるけど、マスコミの力は怖い。筋の通った見方をしている人もいるけど、ほとんどの人間はマスコミ報道に流されてしまうから、マスコミはあるラインを守ってくれるなら、日本のスポーツ界はもっと良くなると思うよ。

――「亀田ジム」もスタートし、08年8月30日(現地時間)のメキシコでの試合は、海外でのマッチメイクの一つの区切りになるんですか。

亀田 日本でもやるし世界でもやりたい。オレも日本人やから日本でも試合をやりたいけど、世界的な選手になるのがオレの目標やから。オレはボクサーやしスポーツ選手。日本だけでやっていたら日本だけの選手で終わってしまうかもしれない。1アスリートとして、俺はボクシングというスポーツを極めたい。世界は広いから、ボクシングの本場のメキシコの次はアメリカ、とやっていきたい。8月30日の試合はそのステップ。

――お父さんの史郎さんですが、日本のセコンドライセンスを無期限停止処分にされましたが、メキシコでは関係ない。それでもセコンドに付きませんでしたね。

亀田 日本のボクシング界でああなってるから、オヤジなりに誠意を見せたんだと思う。

――お父さんとは今後、ボクシングでどのように繋がっていくのですか。

亀田 オヤジとは今まで通り普通にやる。家族やから。セコンドには付かないというだけの話で、家族がボクシングの選手に関わってはいけないというルールもない。オヤジとは昔からボクシングを一緒にやってきているから、これからも一緒にやっていく、そういう気持ちですね。

――さて、08年の大晦日に、WBC世界フライ級チャンピオンの内藤大助選手とのマッチメイクを期待する声もあります。内藤選手の試合(08年7月30日)の終了直後、突然リングに登場されましたが…。

亀田 たまたまというか、(内藤選手の)世界戦を目の前で見ていたから。(その後ネットでは激しいバッシングがあったが)文句言う人は何でも文句いうやんか。でも、タイミングが悪かったかな。リングに入るタイミングがな。こっちは(内藤選手との世界戦を)やりたい。弟が負けているから。試合はいつでもいいよ。明日でもいい。いつ誰と戦っても勝てるように練習を頑張るだけ。2人が試合することで視聴率云々を語る人もいるけど、それはオレには何にも関係ない。試合で結果を残すだけ。

――最近のテレビ番組で、中学2年から8年間付き合った彼女の話をされていましたが、あれは結婚宣言のようなものですか。

亀田 (8年間)一人だけやもんなぁ。初めて付き合った子がそのまま、今まで来ているわけやし。結婚しているようなもんやしな。いつ結婚してもいいよ。でもな、結婚が近いという話の前に、オレのボクシングもあるし。結婚は一つの区切りの時にしたいな。まずは2階級制覇すること。

【亀田興毅選手プロフィール】
1986年11月17日生まれ。大阪府出身。亀田三兄弟の長男。03年全日本実業団選手権フライ級優勝、第55回全日本社会人選手権フライ級優勝を経て17歳でプロボクサー。06年8月に元WBAミニマム級暫定王者ファン・ランダエタとの世界戦でWBA世界ライトフライ級チャンピオン。07年1月に王者返上。08年5月に5月に協栄ジムとの契約を解除。メキシコに渡る。東日本ボクシング協会は08年8月11日「亀田ジム」の新設を承認。08年8月30日(現地時間)に元メキシコ王者サルバドール・モンテス(28)と対戦し、「亀田ジム」設立後の初戦を白星で飾った。趣味は「スィーツ」ショップの食べ歩き。「亀田兄弟オフィシャルサイト」http://www.kameda-bros.com/


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