「試合の後、リングに入るタイミングが悪かったな」
ファイティングポーズをとる亀田興毅選手
――スポーツ選手も人気商売だから、あれだけ注目が集まるのはある意味「勲章」ではないですか。
亀田 あのバッシングの最中は、外とかどこも出られへんかった。(ジム兼自宅の)前にはマスコミがいっぱい居るねん。テレビ付けても文句ばっかり。インターネット開いても文句ばっかり。凄いわ、ホンマ。監禁。地獄…。
辛いよ。誰が人の悪口いわれて喜んでるヤツおるん。実際はそういう人間ではないかもしれないというのに、「亀田」という名前に反応してカキコミをしている。まぁ、書いている人たちもストレスが溜まってるんやと思うし、「亀田」でストレス発散してるんならそれはそれでいいと思うよ(笑)ちゃんと仕事をして、ストレス抱えて、インターネット開いてオレの文句、悪口を書くならええねんけど。それはそれで俺はその人のためになったってことやから(笑)
――これまでのヒール(悪役)スタイルは「演出」なのではないか、という指摘もあります。
亀田 オレは昔も今も何も変わったことはないよ。ずっとこのまま来ているわけやから。でもな、ボクシングも注目されなあかんから、オレも注目集めるためにパフォーマンスはするし、何かしてくれと言われればすることもあるけど、マスコミの力は怖い。筋の通った見方をしている人もいるけど、ほとんどの人間はマスコミ報道に流されてしまうから、マスコミはあるラインを守ってくれるなら、日本のスポーツ界はもっと良くなると思うよ。
――「亀田ジム」もスタートし、08年8月30日(現地時間)のメキシコでの試合は、海外でのマッチメイクの一つの区切りになるんですか。
亀田 日本でもやるし世界でもやりたい。オレも日本人やから日本でも試合をやりたいけど、世界的な選手になるのがオレの目標やから。オレはボクサーやしスポーツ選手。日本だけでやっていたら日本だけの選手で終わってしまうかもしれない。1アスリートとして、俺はボクシングというスポーツを極めたい。世界は広いから、ボクシングの本場のメキシコの次はアメリカ、とやっていきたい。8月30日の試合はそのステップ。
――お父さんの史郎さんですが、日本のセコンドライセンスを無期限停止処分にされましたが、メキシコでは関係ない。それでもセコンドに付きませんでしたね。
亀田 日本のボクシング界でああなってるから、オヤジなりに誠意を見せたんだと思う。
――お父さんとは今後、ボクシングでどのように繋がっていくのですか。
亀田 オヤジとは今まで通り普通にやる。家族やから。セコンドには付かないというだけの話で、家族がボクシングの選手に関わってはいけないというルールもない。オヤジとは昔からボクシングを一緒にやってきているから、これからも一緒にやっていく、そういう気持ちですね。
――さて、08年の大晦日に、WBC世界フライ級チャンピオンの内藤大助選手とのマッチメイクを期待する声もあります。内藤選手の試合(08年7月30日)の終了直後、突然リングに登場されましたが…。
亀田 たまたまというか、(内藤選手の)世界戦を目の前で見ていたから。(その後ネットでは激しいバッシングがあったが)文句言う人は何でも文句いうやんか。でも、タイミングが悪かったかな。リングに入るタイミングがな。こっちは(内藤選手との世界戦を)やりたい。弟が負けているから。試合はいつでもいいよ。明日でもいい。いつ誰と戦っても勝てるように練習を頑張るだけ。2人が試合することで視聴率云々を語る人もいるけど、それはオレには何にも関係ない。試合で結果を残すだけ。
――最近のテレビ番組で、中学2年から8年間付き合った彼女の話をされていましたが、あれは結婚宣言のようなものですか。
亀田 (8年間)一人だけやもんなぁ。初めて付き合った子がそのまま、今まで来ているわけやし。結婚しているようなもんやしな。いつ結婚してもいいよ。でもな、結婚が近いという話の前に、オレのボクシングもあるし。結婚は一つの区切りの時にしたいな。まずは2階級制覇すること。
【亀田興毅選手プロフィール】
1986年11月17日生まれ。大阪府出身。亀田三兄弟の長男。03年全日本実業団選手権フライ級優勝、第55回全日本社会人選手権フライ級優勝を経て17歳でプロボクサー。06年8月に元WBAミニマム級暫定王者ファン・ランダエタとの世界戦でWBA世界ライトフライ級チャンピオン。07年1月に王者返上。08年5月に5月に協栄ジムとの契約を解除。メキシコに渡る。東日本ボクシング協会は08年8月11日「亀田ジム」の新設を承認。08年8月30日(現地時間)に元メキシコ王者サルバドール・モンテス(28)と対戦し、「亀田ジム」設立後の初戦を白星で飾った。趣味は「スィーツ」ショップの食べ歩き。「亀田兄弟オフィシャルサイト」http://www.kameda-bros.com/