【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
16. 最終目標はNTTからの電話回線の開放

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「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   自転車競技にトップ引きという役割がある。

   最先頭を走る選手は静止した空気の壁を切り開くため体力消耗が激しい。ゴールに辿り着く前にほとんど体力を使い果たしてしまいまず勝てない。

   だから優勝を狙う競技者は先頭に立たず、空気抵抗の少ない2番手、3番手の位置に付ける。そうすると誰も先頭に立たず譲り合うので競技は早さを競うのでなく、遅さを競うことになり、競技が成立しない。

   そこで、静止する空気の壁を切り拓く専門の選手を1人指名される。それがトップ引きだ。競技全体は彼のスピードにあわせて進み、勝敗はトップ引きが脱落した時点から始まる。

   だがビジネス競技におけるトップ引きは、指名されて引き受けるのではない。自由意志で買って出る仕事なのだ。そもそもトップ引きがそのままゴールに走りこむことも有り得る。

   だから自転車競技でトップ引きに渡される謝礼もビジネスの世界では存在しない。困難を承知で、濃密な抵抗を撥ね退けて、栄冠を求めてこの競技の先頭に立ち続けること、そしてたとえ脱落し敗北しても悔やまないこと。後から参入して安易な道を歩むものを恨まないこと。こうした覚悟なしにはビジネス競技で先頭に立ってはならない。

   代償は、もちろん栄光だ。名誉も欲も満たされる。しかし、成功するには思いもかけぬ事態がこれでもかこれでもかと降りかかるのがビジネスの常というもので、これには誰も逆らえない。それを承知で駈け出すのはなぜか。先頭を走る痛快感はたまらないからだ。道なき原野に道をつける達成感に打ち震えるのだ。この歓喜に預かれるは神の手に委ねられている。

   人はこの合意なきトップ引きをリスクと称する。その通り、スタジオの観戦者にとっては。だが選手にとっては、リスクは生そのものなのだ。しかも日本広しといえど、ADSLにこの生を見出したのは、ごくごく少数なのであった。

   NTTが見送るのなら我らの手で、こうして我々は2年後に待ち構えるゴールに向ってADSLビジネス戦のトップ引きを決意した。

   もちろんこの時、1999年5月の時点では、何処にゴールがあるのか、そもそもゴールというものが有り得るのか、誰も知らなかった。

   NTTに独占されている電話回線を解放する、これが接続交渉の最終目的である。いかにして?これが分かっていれば苦労はない。我々の依拠するのは、電気通信事業法が保証する「相互接続」の条文だけだ。確かに法律ではそうなっているが、過去に相互接続交渉でNTTの譲歩を勝ち取った企業があるのかさえ知らなかった。

   交渉の相手は、「相互接続推進室」で、新淀橋にあるNTT東日本の本社に陣取っている。この本社とは、東、西、国際とNTTが再分割される前に同じところにあった。

   4月以後はソネット、数理技研2社の連合軍として交渉に当たることとする。確か5月と6月の各1回、この本社の会議室で本格的な槍合わせが行われる。こちらは東條、小林、他に1人か2人、あちらは企画、営業など併せて10人以上で随分と賑やかだ。早速こんな問答が展開する。

「えーと、ADSLで通信事業をやりたいのですけど、電話線貸してくれません?」
「メタルケーブル、もう都内はほとんど在りませんよ。光化が進んでいて、ほとんど巻きとっちゃいました。残念ですね、はい」
「えぇー、まさか。冗談でしょ。ISDNはたしかメタル線ですよね・・・・」
「それからISDNとの干渉は避けるため、ITU―T基準のAnnexCというADSLモデムを使うことをお勧めしますが」
「へー。でも我々は勝手にやりますよ、安くて良いものを使います。ADSLだけでなくSDSLもやりたいのです」
「・・・・・」
「えーっと、出来れば年内にでもサービスを開始したいんですけど」
「あ、それは無理ですね。早くて今から2年、まあ3年は覚悟しておいてください。ADSLのための接続約款の作成と認可、電気通信事業法施行規則の改定、また八項協定だか接続協定の調印とかあれこれありますので」
「・・・・・」

   こちらも負けてはいられない。メタル線が残っていることは、杉村五男(後出)さん達NTTに在籍していた元社員から話を聞き、幾つかの調査を済ませていた。また、法律問題は、政治問題だと分かっている。交渉とはロジックを戦わせることだ。ここで勝てば良し。いくぞ。

「ところで、ADSLについてフィールド実験のあとに、商用化実験サービスに取り掛かるとNTTはホームページに書いてありますよね。どんな内容なのですか?」
「・・・・・・・・、まだ未定です」
「ところで、メタル線は電電時代に敷設した国民の財産ですよね。これをどう使うかという実験をNTTだけが優先的にやるなんて、おかしいですよね。いきなり、実用というわけでなければ尚更、我々にもやらせてもらって問題ないですよね」
「・・・・・、でも約款と省令改訂とか接続協定合意とかなしには無理ですね」

   よし、これで突破口は開けるぞ。商用試験サービスなら何とか成る。

「ところで、ソネットさんや数理技研さんは使用中の電話線は使わず、空いている電話線(ドライカッパー)でやるんでしょうね。お互い楽ですよ。電話重畳について当方はまったく考えていませんが」

   よし、これが焦点だ、この妥協点は譲歩してはならない。

「バカ言っちゃいけません。今使っている電話線をそのまま使って高速データ通信を重畳できるからこそADSLなのです。我々は断然やります」
「ところで、すでにNTTさんは電話基本料金を毎月利用者から徴収してますよね、これには、電話線の利用料はすでに含まれているのですから、電話重畳の場合はNTTさんには料金を払う必要は発生しませんね?」
「ぬぬぬ・・・・・」

   こうした調子の押し問答が続く。電話局舎内にADSLモデムの集合装置(DSLAM)(注)やスプリッタ(電話音声とデータとの分離装置)を置く話、いわゆるコロケーション問題やその場所代、MDF(Main Distributing Frame局社内の電話回線終端装置)からどうメタル線を引き出し配線するか、工事と設備保守のこと等の概要について、こちら側から長野での経験を基にして話をした。

   さあ、これでお互いの手の内は分かった。あとは持って帰って検討だ。この最初の2回の接続交渉において、今後延々と続く交渉の問題点はあらかた浮かび上がった。この接続交渉は、NTTが分割された後も、NTT東日本に引き継がれ、同様の顔ぶれでこの年一杯、商用試験サービスが実現するまで、平均して週に1回のペースで継続された。そこでの合意が、NTTも含む日本のADSLビジネスの規範となってゆく。

   NTTが我々をどう思ったか知る由もないが、一応接続交渉の顧客として、入り口では一応もてなしくれた。

   だが本当に座敷に上げる気があるのだろうか、これは大いに疑問だ、という感触を振り切れぬまま我々は引き上げた。


   (注)DSLAM:Digital Subscriber Line Access Multiplexer の略。
   DSLによる通信では局側および加入者側に変調 /復調を行うモデムを設置するが局側には多数のモデムが置かれるため集合化された装置が置かれる。これをDSLAMと呼ぶ。
   集合モデムとも呼ばれる。通常ラックマウント型のキャビネットにモデムカードや制御カードなどを挿したものである。大型のDSLAMでは1台で数百回線の通信をサポートする。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

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東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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