銀メダルのフェンシング太田雄貴選手は、「ニート王子」などと呼ばれる。それが、有名になり、やっと就職先のオファーが出たという。だが、目標に向けて1日8時間もの練習を続けてきた選手が、本当にニートなのだろうか。
仕事も通学や家事もしないので確かにニート
太田雄貴選手サポート会社のホームページ
「あんまり出社しなくていいところが」
北京五輪フェンシングの男子フルーレで銀メダルの快挙を成し遂げた太田雄貴選手(22)。帰国後の就職先についてインタビューで聞かれると、こう打ち明けて爆笑を誘った。マスコミで「ニート王子」「ニート剣士」などと呼ばれるだけに、ニートのままでいたいというジョークに受け止められたわけだ。
太田選手は、2008年3月に同志社大学を卒業後、職に就かず、他競技の選手と違って所属先もなかった。日本フェンシング協会によると、肩書きの「京都クラブ」には実態がなく、太田選手がゆかりのある京都にちなんで便宜上、付けたという。
ニートは、政府の定義では、仕事のほか通学や家事もしていない15~34歳を指す。07年は62万人に上った。太田選手が、仮に家事をしていないとすると、統計上はニートだということになる。
「ニート王子」のきっかけは、太田選手が「ニートなんで」と言ったり、友だちから「まるでニートやな」と言われることを明らかにしたりしたことから。自ら統計上のことを意識していたのかもしれない。
とはいえ、日本フェンシング協会の関係者によると、卒業後も、「お隣の韓国が5~7時間練習しているなら、8時間練習すればいい」というほどの精進の毎日だった。それだけに、ネット上では、「ニートじゃない」とマスコミの呼称に反発する声も出ている。
10数社から就職先のオファーが来ている
太田雄貴選手が、敢えて「ニート」を選んだのは、マイナー競技というハンデの中でメダルをつかむためだった。
日本フェンシング協会関係者によると、2006年10月にイタリア・トリノで開かれた世界選手権で、太田選手を始め日本勢が惨敗した。
「これじゃ勝てない。次のオリンピックに向け、どうしたらいいか」
そこで、山本秀雄会長が会長をしている福岡市内の辛子明太子会社などのサポートを得て、メダル獲りに必要と考えた6500万円を集め、都内で07年2月から五輪までの「500日合宿」を始めた。住居・生活費をこれで賄い、フェンシングの練習だけに毎日専念した結果が「ニート」だったわけだ。
太田選手は、それ以前も、遠征のために、同じフェンシング選手だった父親から200万円を出してもらうなどしている。山本会長が就任した03年からは、遠征費の3~5割の資金が出るようになっている。
協会関係者は、こう明かす。
「フェンシングを極めるには、お金があって、時間的に余裕がないとできません。そこは、乗馬競技や、上流階級中心だった一昔前のテニスと同じですよ」
そのうえで、太田選手について、この関係者は、「お笑いの人がかつて公園で暮らしたというのがイメージなら、ニートと呼ぶのはふさわしくないと思います」と話す。いわば、所属がなくても、事実上、理解者となるスポンサーがいたわけだ。
その太田選手には、五輪後にスポーツメーカーなど10数社から就職先のオファーが来ている。10月末にも選んだ先を発表できるという。今度は、実力でスポンサーを獲得できるまでになったということになるのではないか。