10数社から就職先のオファーが来ている
太田雄貴選手が、敢えて「ニート」を選んだのは、マイナー競技というハンデの中でメダルをつかむためだった。
日本フェンシング協会関係者によると、2006年10月にイタリア・トリノで開かれた世界選手権で、太田選手を始め日本勢が惨敗した。
「これじゃ勝てない。次のオリンピックに向け、どうしたらいいか」
そこで、山本秀雄会長が会長をしている福岡市内の辛子明太子会社などのサポートを得て、メダル獲りに必要と考えた6500万円を集め、都内で07年2月から五輪までの「500日合宿」を始めた。住居・生活費をこれで賄い、フェンシングの練習だけに毎日専念した結果が「ニート」だったわけだ。
太田選手は、それ以前も、遠征のために、同じフェンシング選手だった父親から200万円を出してもらうなどしている。山本会長が就任した03年からは、遠征費の3~5割の資金が出るようになっている。
協会関係者は、こう明かす。
「フェンシングを極めるには、お金があって、時間的に余裕がないとできません。そこは、乗馬競技や、上流階級中心だった一昔前のテニスと同じですよ」
そのうえで、太田選手について、この関係者は、「お笑いの人がかつて公園で暮らしたというのがイメージなら、ニートと呼ぶのはふさわしくないと思います」と話す。いわば、所属がなくても、事実上、理解者となるスポンサーがいたわけだ。
その太田選手には、五輪後にスポーツメーカーなど10数社から就職先のオファーが来ている。10月末にも選んだ先を発表できるという。今度は、実力でスポンサーを獲得できるまでになったということになるのではないか。