【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
9. 上田市への展開「ISDNは日本の電話網を汚染している」

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「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   ADSLの実験は伊那だけで終わらなかった。あと2ヶ所でおこなわれた。1つは1998年12月から翌年1月迄長野県の上田地区で、もう1つは、長野冬期オリンピックの最中、1998年2月から3月に長野県川中島地区でそれぞれ実施された。

   私がUBA会長の肩書きで外人部隊を代表し、機材と人を送り込み、地元は有線放送電話組合が単独または複数で環境を用意し、実験連絡会を設けて、やりたい人間がやりたい事をやるというボランティアベースという点では、ほぼ同じ伊那方式とでも呼ぶべきパターンが出来上がった。

   引き続き3ヶ所でというフィールド実験の申し入れも、長野県が有線放送電話組合の稀にみる稠密県であったという事情が根底にあるのだが、それ以上にNTTがしきりに喧伝していた光ファイバーへの投資余力が、有線事業者にはないぎりぎりの経営状況で、わずかな設備投資で高速インターネットアクセスが実現できるADSLへの期待が大きかったからといえよう。

   また、有線放送電話の経営主体が、しっかりと住民の中に根ざし、それだけの判断ができる主体性を持っている事に驚かされた。伊那の中川さんや安江さんのような人物に、上田でも川中島でも巡り会った。「点を線」に、「線を面」になどと実験場ごとに起案した実験趣意書に書き込んだことを思い出す。

   上田では、市全体が協力的で、上田有線放送、塩田有線放送、川西有線放送の3組織を動かしてくれた。農村有線放送協会の大久保さんも陣頭指揮に訪れてくれた。

   伊那ではADSL装置の特性に興味が集中したのに対し、上田ではこの装置周辺での課題に興味が集まった。その1つがISDNとADSLの干渉問題であった。NTTがADSLにより自社のISDN通信が乱されるという重大な危惧を表明していたので、その検証を目的とした。

   結果は、相互干渉は全体として絶対的なものとまで言えるものではなかった。ADSL線の同一カッドや隣接カッドにISDN線があれば、ADSLの通信障害が発生するのに対し、その逆、つまりADSL線によりISDN線に悪影響を及ぼすことはほとんど有り得ないということであった。

   このことは、NTT側にとって、競争的事業者がADSLでNTTの電話網に参入するのを技術的な理由で拒むことはできないという事実を示している。私は、「日本の電話網はISDNによって汚染さている、汚染源のISDNはとっとと撤去するのが双方のためだ」と東京めたりっく通信とNTTとの交渉の場で強く主張したが、その最初の根拠をこの検証実験で得たのだ。その他、ADSLの到達可能距離を明確にするため、5キロメータ以上の長距離メタル線での実験、バックボーンとなる光ファイバーの伝送能力の実験、今の言葉でいえばシンクライアントに相当するネットワーク・コンピューティング(NC)のADSL回線利用実験などである。

   なおこの相互干渉実験の担い手について紹介しておきたい。それは文部省学術研究グループ「ITRC/ADSL研究会」の面々である。東工大計算センター勤務の太田昌孝君、帝京大の先生をやっていた筒井多圭志君の両名である。私はこの2人とは実は彼らが学生時代からの長い付き合いで、80年代の前半、数理技研がUNIXに進出し「横浜市子供科学館」のシステム構築を請け負ったときに、彼らにアルバイトとして働いてもらったことが契機だった。上田実験への協力を彼らは2つ返事で承知し、ISDNシミュレータやスペクトル・アナライザなどを担いで来て、説得力ある実験結果を出してもらった。

   なお、筒井君はその風貌挙動の特徴から「ペンギン」と渾名された個性的な人物でとても大学以外は勤まるまいと思っていたのだが、その後、孫正義会長の参謀役としてYahoo!BB立ち上げで表舞台に登場、IP電話にも進出して数百万のADSLユーザー獲得の推進力となって大功績を上げた。今はソフトバンクの取締役の地位にある。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

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東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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