龍馬ファンに衝撃 事件の舞台「寺田屋」に建て替え疑惑

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   幕末の英雄・坂本龍馬が襲撃された「寺田屋事件」の舞台、旅館「寺田屋」が建て替えられたのではないかという疑惑が浮上している。龍馬が「応戦」した痕だと言われる弾痕も残っていて、当時のままだとされてきただけに、いったい何があったのか。京都市も事実関係の調査に乗り出した。

「記事にあるような『偽装』ではありません」

   「週刊ポスト」は2008年9月12日号で、「平成の『寺田屋騒動』」と題し、「寺田屋」が「レプリカ」ではないかという記事を載せている。京都・伏見にある寺田屋は、1866年、坂本龍馬が滞在中に幕吏に暗殺されかけた「寺田屋事件」で有名だ。館内には、襲撃を受けた龍馬が応戦、ピストルを発射した痕だろうと言われる弾痕や、刀痕が残っている。 また、入浴中だった寺田屋の女将お登勢の養女・お龍(のちの龍馬の妻)が、龍馬に知らせるため、裸のまま駆け上がったと言われる階段もそのままだ。館内では、「この寺田屋は維新の舞台となった当時の船宿そのままでございます。これが現存することも珍しいことでございますが、この寺田屋の建物の中で歴史が作られたのでございます・・・」という音声解説が流れている。

   ところが同誌は龍馬に関する書籍を元に、寺田屋は1868年の戊辰の兵火(戊辰戦争・鳥羽伏見の戦い)で焼失していて、もとは現在の寺田屋東側にある庭に建っていたと推測する。さらに庭には「寺田屋遺址」と書かれた碑があり、地元の人は「東側の庭になっている別の場所に建っていたと祖父は話していました」と明かしている。にもかかわらず、「当時のまま」を謳うのは「食品偽装ならぬ『観光偽装』」ではないかとしている。

   J-CASTニュースが寺田屋の経営者に取材すると、

「寺田屋は何度も人手に渡っていて、確かなことはわかりません。私どもが受け継いだのは1976年のことですが、その時から当時の建物だと言い伝えられていました」

とした上で、戊辰戦争で焼失したという説については、

「一部が被災して、修繕したようですが、どの範囲に及んだかはわかりません。しかし弾痕や刀痕、階段は当時のものだと認識しています。記事にあるような『偽装』ではありません」

と話している。

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