サブプライム問題以降、「格付け会社」に対する批判が高まっている。これはいったい、どういうことなのか。
「格付け」とは債権の返済がどれだけ確実に実施されるかを簡単な記号(AAAとかBB)を使って表わしたものだ。たとえば、99.99%の確率で返済がなされるのであれば、最上級のAAA(トリプルA)格、といった具合。これにより企業の信用力が一目瞭然となり、投資家の判断がラクになった。
「責任がない」とは虫が良すぎる
同じ格付けでも東京電力債の格付けとか日本国債の格付け、といった場合は比較的理解しやすい。しかし、証券化商品の格付けは複雑だ。問題となったサブプライム住宅ローンの証券化の場合では、何千という数の住宅ローンを束ねて、それをさらに信用力別に切り分けたものが投資対象になる。これを投資家のためにチェックし評価してくれる存在として格付け会社があり、その役割は重要だった。
格付け会社は、債券を発行する側から徴収する手数料を主な収入源としている。サブプライム問題の大きな原因は、格付け大手3社(スタンダード&プアーズ、ムーディーズ、フィッチ)のあいだの顧客獲得競争により、格付けが甘くなってしまったところにある。お客(発行体)はいちばん良い格付けをつけてくれる格付け会社を選ぶに決まっているからだ。
「格付けとは憲法で保障された自由な言論表明にすぎない。何ら責任をとらされる筋合いでない」というのが格付け会社の主張。しかし、現実には大手数社については各国政府の「お墨付き」であたかも準公的機関のような権威が備わっており、たんなる民間企業とはもはや言いがたい。このような特権的な地位を与えられていながら、「責任はない」と主張するのはどう考えても虫が良すぎる。
今後あるべき姿としては(1)特権的地位を保ち、その代償として大きな責任を背負う、あるいは(2)特権的地位を失って市場のたんなる一プレーヤーとして存続する、のどちらかでしかないはずだ。
格付け会社はただの情報源のひとつ
サブプライム問題以降、格付け会社への規制を強化しようという声が高まっている。たしかに、経営の中立性・透明性・公平性について監視をすることは必要。しかし、格付け会社への規制を強化することは、彼らの特権的地位をも強化してしまうことにつながるため、問題も多い。
たとえば、新BIS規制(バーゼル自己資本規制)では銀行の自己資本の算定にあたり格付けが正式の基準として使われるようになった。そのため大手銀行が企業融資の審査をするにあたっては、その企業の格付けを最重要ファクターのひとつとして考慮せざるを得なくなった。
とはいえ、その基準に従えば大丈夫という保証はどこにもないし、格付けをもとに投資して失敗したとしても誰かが責任をとってくれるわけでもない。自由主義経済では結局のところそれぞれが自己責任で投資判断をするしかないのだ。格付けは、新聞や雑誌、信用調査会社、通信社、シンクタンク・・・などといったさまざまな情報源のひとつにすぎないという認識を持つことが大事。
投資家が格付けを「金科玉条」にして自らのチェックをおざなりにしてきたために、サブプライム問題は大きくなったといえる。同じ過ちを繰り返さないためにも、格付け会社に過度な「権力」を与えるのを避けて、モラルハザードを最小にするような制度設計が望まれる。
筆者は格付け会社の特権的地位を剥奪し、たんなる意見表明としての立場に戻すべきだと考える。
++ 枝川二郎プロフィール
枝川二郎(えだがわ じろう)国際金融アナリスト
大手外資系証券でアナリストとして勤務。米国ニューヨークで国際金融の最前線で活躍。金融・経済のみならず政治、外交、文化などにもアンテナを張り巡らせて、世界の動きをウォッチ。その鋭い分析力と情報収集力には定評がある。