川田亜子は「適応障害」? ブログに書いた数々の「死の兆候」

糖の吸収を抑える、腸の環境を整える富士フイルムのサプリ!

   元TBSアナウンサーで、現在はフリーアナとして活躍していた川田亜子さんが2008年5月26日に自殺した。死の直前まで綴っていたブログには「仕事の合間が一番苦痛です」「言葉が・・・出ないので」などと精神的に不安定だったと思わせる記述がある。ブログの記述やテレビでの最近の川田さんの様子から、精神科医は「鬱(うつ)と不安を伴う適応障害」と診断、「何らかのショックな出来事があった」と見る。

「母の日に私は悪魔になってしまいました」の意味

ブログで「一番苦痛であります」と書いた川田亜子さん
ブログで「一番苦痛であります」と書いた川田亜子さん

   川田さんに「壊れていく」兆候が見られたのは2008年5月に入ってからだ。

「先週から口が回らなく、どうしたものかと悩んでおりました。普段から喋りがなめらかとは言えない私にとっても心配であり、不安が押し寄せてきます。特に心あたりもなく(中略)人生は無常ですね」(5月7日)
「いつもの私がまだ見つけられません」(5月8日)

   「母の日に私は悪魔になってしまいました」と川田亜子さんが自身のブログで綴ったのは2008年5月12日のこと。「産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が 私の涙がとまりません。母の涙が耳の奥で響いているのです」 と続く。

   5月14日のブログでは「元気になるまで、皆さんとこうしてお話をするのを休憩させていただきます」と突如「ブログの休止」を宣言。しかし、同日に「やっぱり 自分の気持ちが伝えられないのは寂しいですね」とブログを再開していた。5月21日には「言葉が・・・出てこないので、今日は書くのをやめようと思います」と書いており、最後に川田さんが書いたとみられる5月22日のブログでは、

「仕事の合間 一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます」

と書いている。

「不幸のどん底にいる気分なんでしょうね。(川田さんは)やはり鬱と不安を持っていた。ブログを書いているので重度のうつ病ではないでしょうが、適応障害と見られます」

   こう診断するのは精神科医の町沢静夫氏だ。適応障害とは辛い状況に直面して精神的に参ってしまい、社会生活に支障をきたす状態を指す。

   町沢医師は5月12日の「母の日に私は悪魔になってしまいました」と書かれたブログについて、「死ということを考えていたのだろう」と推測している。

姉妹サイト