精神科医・和田秀樹さんインタビュー(上)
「映画を撮るために医者になった」

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自主映画の失敗で学んだ制作の段取り

「受験のシンデレラ」のノベライズも手がけた和田秀樹さん
「受験のシンデレラ」のノベライズも手がけた和田秀樹さん

――ほんとうに医者になろうと思ったんですか?

和田 医者の免状はほしいなあと思った。その当時は映画では食えないというのが定説で、僕自身も商業映画の職業監督よりも映画作家的な方向を考えていた。みんな食べるために映画を撮っているのではなかった。どっちかっていうと高林陽一監督のように、ATGで撮っていたって全部赤字だったけど、実家は京都の裕福な家なので食べてはいけたんだと思う。
医者になったら2年で1千万円貯めては映画を撮って、興行的に当たったら多少映画の世界でやるだろうし、コケたらまたどっかで雇ってもらう。これを2年毎に繰り返すというライフプランを立てたんです。

――しかし、実際に映画を撮るまで30年かかった。

和田 大学3年生のときに16ミリの自主映画を作ったんだけど、頓挫しちゃった。だけど、そのときに出てくれた橋爪淳さんは、今回の「受験のシンデレラ」に出演してくれました。ほかに、当時オスカープロモーションのモデルだった高樹沙耶さん、高橋ひとみさんが出ていたのですが、そういう人たちの成功は羨ましく見ていました。
映画が頓挫したときに衣装会社の社長さんが「段取りが悪いね。こんな段取りでは一生、映画なんか撮れないよ。一番段取りのいい現場を見せてあげよう」と、大映テレビの現場につけてくれた。衣装部で使い走りをやっていたんですが、その現場の監督が富本荘吉さん。富本さんは、山口百恵が3日しかスケジュールがないときに「泥だらけの純情」という映画を撮ったことで有名な早撮りの監督。実際に行ってみたら早い、早い、早い!チーフの助監督はその現場にいなくて、次の現場にいるんですよ。しかも毎日定時の5時にちゃんと終わる。撮影日数も2週間なかったくらいです。それで手抜きをしているかというと、違う。その現場は、今だにシリーズが続いているドラマ「家政婦は見ていた」の第1本目だった。
結局、映画っていうのはじっくりじっくり時間をかけて、監督がこだわってこだわって作るものではなく、作りたいものをしっかりもって、ものをきちんと作るということをしなくてはいけないということを学びました。それが、活かされ、今回も撮影日数22日、そのうち撮影休暇4日で実日数18日間で撮影を終えたんです。
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