新銀行東京の追加出資をめぐって、2005年の開業時の代表だった仁司泰正氏がやり玉にあがっている。多額の赤字を抱え、不良債権の山を築いた「元凶」だそうだ。ほんとうにそうなのか。現経営陣は仁司元代表だけに責任を押しつけて、都議会を説得しようとしているのではないか。
「信用金庫でも大丈夫かな、と思うような先でも無担保で貸していた」
東京都が2008年3月10日に明らかにした調査報告書では、「不良債権の増加は、常識を逸脱した業務運営が要因」と結論づけ、津島隆一代表は「損害に対する相応の責任を求めていく」と損害賠償請求を含め、法的措置を視野に置いている。
新銀行東京の初代代表に就いた仁司泰正氏はトヨタ自動車の出身だった。トヨタ時代は主として経理、財務畑を歩き、1993年にはグループの豊田工機の取締役に。専務を経て、2000年にトーメンに移り副社長として企業再生に腕を振るった。新銀行東京にはトヨタの奥田碵会長(現・相談役)が推したとされ、銀行発足当時は「トヨタ式経営を銀行に」と注目された。
ところが、銀行が貸さない中小企業にも無担保で融資することを「売り」にしていた新銀行東京は、執行役などの経営幹部を大手銀行から招くとともに、融資先の確保には東京都内の信用金庫に協力を求めた。都内の信金はヒト・モノ・カネを拠出したあげく、融資先まであっせんしていたのが実態だ。
とはいえ、信金も商売だから財務状況のよい中小企業であれば自ら融資する。つまり、信金から新銀行東京にまわる融資先は不良債権化する可能性の高い企業ということになる。
ある信金幹部はこう振り返る。「信用金庫でも(経営が)大丈夫かな、と思うような先でも無担保で貸していました。都のアドバルーンが大きすぎて、(融資の獲得には)かなりのプレッシャーがあったようでしたし、こちらにも威圧的でしたね」。
内情を知る者は仁司元代表にかなり同情的だ
新銀行東京の経営責任について、仁司元代表を追及する声が日に日に高まっているが、新銀行の内情を知る者は仁司元代表にかなり同情的だ。そもそも、経営内容のおぼつかない中小企業に無担保で融資するというビジネス・スキームが無茶だったからだ。新銀行が設立された05年には中小企業向け融資も回復に向かっていたこともある。前出の信金幹部も、「ビジネスとして成り立たないことは設立前から指摘していたし、(代表の)なり手がなかなかいなかったところで決まった人なのに。あれはちょっとひどい」と話す。
ただ、経営計画(マスタープラン)では年間150億円の経費で運営するには融資残高が6000億円(開業後3年目の目標値)ないと黒字にならないため、融資拡大を焦ったことは否めない。
「トヨタ式経営」も銀行経営には通じず、仁司元代表は07年6月に赤字経営の責任をとって退任。代わってトップに就いたのは、りそな銀行出身の森田徹氏だが、わずか5か月で健康上の理由から退任。それも「仁司時代」の尻拭いがあまりにひどかったためなどと伝えられている。
「危機的となった焦げ付きの事実を一部隠蔽し、防止策も楽観的」
「経営実態を取締役会に報告せず、デフォルトの急増を把握しながら融資拡大路線を続けた」
「(仁司元代表による)独善的な業務運営」
と、津島代表の言葉は厳しい。しかし、その津島代表も設立当初の経営計画に携わったひとりだ。