松下電器産業が2008年10月、社名を「パナソニック」に変更し、「ナショナル」ブランドも廃止する。「経営の神様」と呼ばれた創業者、松下幸之助氏の名を冠した社名から決別する判断を下した。2000年から本格化した「脱・松下」「脱・創業家」の改革の総仕上げでもある。
松下、ナショナル、パナソニック、三つもあるとブランド価値低い
07年の世界ブランド番付では「パナソニック」は78位だった
松下は1918年、「松下電気器具製作所」として創立された。25年には松下氏が「国民のための(National)」との意味を込めて、ナショナルブランドを命名し、27年に自転車用の角型ランプで初めて用いられた。「松下」という社名もナショナルブランドもともに創業以来の看板だった。
「断腸の思いだが、郷愁に浸るよりは、より大きく成長する可能性のあるパナソニックに全社員の思いを結集したい」。記者会見した松下の大坪文雄社長は厳しい表情で説明した。社名とブランド名の併存がブランド戦略の足かせとなってきたからだ。
大坪社長は「我々のブランド価値は低い。社名を含め三つに分かれているからだ」と明言した。社名の松下と国内の白物家電限定のナショナル、海外向けのパナソニック。これに対し、世界市場で競うソニーや韓国・サムスン電子などは社名とブランド名が同じだ。米ビジネスウィーク誌の07年世界ブランド番付ではトヨタ自動車の6位、ソニーの25位に対し、パナソニックは78位にとどまった。
だが、国内の家電市場が成熟化し、電機各社は欧米や新興国の旺盛な需要で収益を稼いでいる。売上高に占める海外比率は松下で5割強、ソニーで7割強に達している。海外での競争が激化する中、松下にとってもブランド力強化は急務で、社名変更は大坪社長の就任前からの懸案だった。
その布石を打ったのは前社長である中村邦夫会長。バブル崩壊後の90年代、松下は業績低迷が続き、2000年に社長に就任した中村氏は「破壊と創造」をテーマに改革を断行した。製品ごとの縦割り組織である事業部制や上場子会社群を緩やかに束ねる連邦経営など松下氏が築き上げた仕組みを大胆に見直し、結果的にV字回復を実現させた。
「松下一族」にも根回し、了承を取る
ただ、社名変更という最後の「聖域なき改革」は2006年に就任した大坪社長に引き継がれた。大坪社長07年末、創業家の松下正治名誉会長と松下正幸副会長に説明し、その場で「松下の発展につながる」と了承を得た。正治氏が社長を退いた77年以来、創業家出身でない社長が5代続き、社内では「松下の威光」も薄れたとされるが、大坪社長は細心の注意を払って手順を踏んだ。創業90周年を迎えた08年、松下は「第2の創業」とも言える大きな決断に踏み切った。同時に2009年度の経営目標として「売上高10兆円」が掲げたが、社名変更を機に松下が目指す「グローバルエクセレンス(世界的優良企業)」に羽ばたけるかを問われることにもなる。