タイゾー君こと杉村太蔵衆院議員(28)(比例区南関東ブロック選出)の政治生命に、黄信号が点っている。出身地である北海道の小選挙区への転出を目指したが、自民党内に強力なライバルが出現。また、「永田町の父親」と仰いだ後見役の武部勤元幹事長から「勘当」され、風当たりが強いとの声も聞かれて…。
公式ブログは2か月も音沙汰なし
しばらく更新がないタイゾー議員のブログ
タイゾー議員の公式ブログが、2007年9月27日を最後に2か月以上も更新されていない。この日の日記では、「いずれにしても以後、私は完全無派閥議員として党内において言いたいことは遠慮なく言っていく所存であります」と息巻いた、にもかかわらずだ。何があったのだろうか。と思っていたら、このところ北海道のニュースに出没するようになった。
新聞各紙によると、タイゾー議員は12月2日、自民党北海道連の衆院北海道1区支部が札幌市内で開いた候補者選考委員会幹事会に出席した。そこでは、YOSAKOIソーラン祭り創始者の会社役員、長谷川岳氏(36)とともに最終面接に臨んだという。かねて噂されていたが、タイゾー議員は、やはり次期衆院選では北海道から出馬するつもりだったのだ。この日は、候補者が決まらなかったが、12月中には決まる見通しという。
タイゾー議員が、比例区から小選挙区に回ろうとするには事情がある。次期衆院選では、自民党の選対幹部が、「小泉チルドレンを優遇しない」と公言しており、タイゾー議員も比例区では名簿の上位に登載されない可能性が出てきている。衆院選比例区では候補者名の投票がないため、たとえ知名度がある彼でも、名簿の下位なら当選が難しいのである。
とはいえ、タイゾー議員が、容易に北海道1区での公認が取れるわけではない。まず、武部元幹事長への批判などで、党内で逆風も吹いている。タイゾー議員は、小泉チルドレンでつくる勉強会「新しい風」が07年9月16日に開いた会合で、現首相の福田康夫氏支持をすんなり決めたことに反発し、途中退席した。これに対し、座長を務めた武部氏は「もう来るな」と激怒したという。その後も「勘当」状態で、釧路新聞の11月13日付記事によると、タイゾー議員は、道議後援会の10日の集まりで、「(自分は)家出息子、バカ息子。親子げんかみたいなもの」と自嘲気味に話していた。
「人気があるのは選挙権を持たない若者にだけ」
さらに、看板はあっても、地盤、カバン(政治資金)がないタイゾー議員には事情が厳しい。朝日新聞北海道版の12月3日付記事によると、「人気があるのは選挙権を持たない若者にだけ」との意見から、地元関係者に根強い反発があるという。このため、経済界の中には、ライバルの長谷川氏を推す声が強いと指摘している。
政治生命がかかる中では、さすがのタイゾー議員も慎重にならざるを得ないらしい。スポーツ報知の記事によると、12月2日の最終面接では、自ら議員バッジを外して臨み、謙虚な姿勢をアピールしたという。ブログの「沈黙」は、そんな状況の中で生まれたとの観測も出ている。タイゾー議員の衆院第2議員会館内事務所では、J-CASTニュースの取材に対し、「北海道1区を目指しているのは事実ですが、今の段階では取材をお断りしています」と話し、ピリピリした様子だった。
ただ、まだ浮上の芽はある。各紙によると、自民党の菅義偉選対副委員長が「タイゾーには見込みがある」と周囲に漏らしているというのだ。スポーツ報知の12月2日付のインタビュー記事によると、菅氏は、比例区のチルドレンの中で小選挙区にチャレンジする人がほとんどいないとして、「杉村太蔵は『北海道1区から出たい』と手を上げた。私が彼を評価するのはその点なんです」とまで語った。さらに、「最近も北海道の人たちと陳情に来ていた。政治家として頑張っていると思う」と述べた。
もちろん、北海道1区で出馬が認められても、安泰ではない。選挙区では、民主党から10回目の当選を目指す横路孝弘衆院副議長と戦わなければならない。また、自由奔放なパフォーマンスから生まれる軽はずみ発言も、不安の種だ。実際、SPA!12月11日号のコラムでも、「自民党のある意味での強みというか、素晴らしさというか、これまでに政権政党として戦後長くこの国の政治を担うに至ったその訳が、私はこうした熾烈な権力闘争を常に党内において繰り広げている点が挙げられると思います」と、派閥を肯定したかのような珍回答を寄せている。
いずれにしても、茨の道なのだ。