元ミャンマー大使の山口洋一氏が2007年11月22日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を開き、「世界のメディアでは、ミャンマーの実際の状況がゆがめられている」とした上で、「それぞれの国の実情を無視して民主主義を強制すると、かえって混乱する」との持論を展開した。ジャーナリストの長井健司さんが銃撃され死亡した件については「不幸な偶然が重なった結果」とした上で、「(銃撃の瞬間が収録されていると見られる)ソニー製ビデオカメラは、混乱の中で紛失した」とのミャンマー政府の見解を紹介した。
外国人記者からは、「私がビルマで見てきたことと違う」と、反発の声も挙がった。
95年から3年にわたってミャンマー大使を務めた山口氏は、世界中のメディアで伝えられている「軍事政権=悪玉、NLD(国民民主連盟、ミャンマーの最大野党)=民主化勢力・善玉」という図式は「実情を反映していない」と主張。
軍事政権は7つの段階を経て民主化へのプロセスを進めているとして、現状を「踊り場の民主主義」と表現。山口氏は先週ミャンマーを視察してきたばかりで、新首都「ネピドー」も視察したという。上下2院制の国会議事堂や、大統領官邸の建設が進んでいるのを目の当たりにして
「『7段階(のプロセス)を経ての民政移管は本気だな』と感じた」
と、軍事政権の政策をたたえた。
「カメラはデモの混乱の中で失われた」
山口氏は写真を示しながら「カメラ持ち去り説」を否定した
長井さんの死亡については、
「誠に不幸な偶然が重なった結果」
とのミャンマー政府の見解を紹介。長井さんが死亡するまで持っていたソニー製のビデオカメラについては
「長井氏が持っていた物品は、24点全て返却した。カメラはデモの混乱の中で失われた」
と、軍事政権は主張しているとのことだった。一部で、
「ソニー製のカメラは、ミャンマー軍兵士が持ち去った」
と、現場の映像付きで報じられたことについては、複数の写真を示しながら、
「持ち去るシーンが映っている映像は、長井さんが倒れたのとは別の場所で撮られたものだ。持ち去っていたものは、(ビデオカメラではなく)水筒のようなもので、兵士が持ち去ったのは、それが爆発物だという懸念があったからだ」
とした。
ミャンマーと言えば、1990年の総選挙でアウン・サン・スーチー女史が率いるNLDが圧勝したにもかかわらず、軍事政権が政権委譲を拒否したことから、その正当性に疑問を投げかける声も多い。
山口氏は
「(1990年の選挙が)ミャンマー批判の『アダムとイブ』みたいに、全ての根源になっている」
との認識を示した上で、ミャンマーが内戦状態にあったことから
「政権委譲していたら、それこそ国が四分五裂してしまって、国が存立しなくなるという大変な危機感を軍事政権が抱いていた。あの時点で(NLDに)政権を渡していたら、ミャンマーという国はなくなっていたかも知れない」
と、軍事政権を正当化。質疑応答では、
「あんな結果になるなら、選挙をやらない方がよかった」
とまで述べた。