寛仁殿下「非行少年だった」 米紙に衝撃告白のすごい中身

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単に存在していることに意味がある

   話題は、寛仁さまの青年時代にも及んだ。すべての皇族に警備がつくようになる前は、ご自身で山手線に乗って学習院に通っておられたのだという。他の皇族と比べて、寛仁さまは「非行少年」だったといい、近くの北朝鮮系の学校に通う生徒といざこざを起こすこともあったのだという。

「彼らとは、すごく戦いました。彼らは学習院の制服を見つけると、いつも襲いかかってきたんです」

   寛仁さまは1982年、社会福祉活動に専念したいとして「皇籍離脱発言」を行い、世間を驚かせた。この背景については語らなかったが、皇室については、このように述べたという。

「皇室は、要するに何なのかと聞かれれば、良く良く考えた上での結論というのは、私たちの(存在する)意味というのは、私たちが単に存在していることにある、ということです」

「存在することの意味は存在すること」と、半ば哲学的な見解をお示しになった形だが、皇室の役割についても、独特の見解を披露なさった。

   寛仁さまによると、皇族は、単に

「朝起きて、朝食を食べて、昼食を食べて、夕食を食べて、眠りに就く。これを1年365日繰り返す」

ことで役割を果たすことができる、というのだ。

   そして、「生まれ変わるとしたら、また皇族をやりたいか」という問いに対しては、5秒の沈黙の後に、当初は

「もう十分です。61年間で、やりたいことは本当にみんなやりました。古いしきたりも打破しました。B型なので、新しいことをやってみたいです」

とお答えになったが、これを修正。皇族の暮らしにも庶民の暮らしにも、当然それぞれに良い点と悪い点がある、とした上で、

「皇族にしろ(日本)国民にしろ、『誰が、より幸せか』と考えたとき、そんなものに答えはないですよ。ない」

とお答えになった。

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